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赤羽の駅からしばらく南下して急坂を登ったら、驚いたことに台地上には、古くからの商店街があった
その商店街は、あちこちに更地や廃業してしまった店舗が目立つが、まだ営業している店舗も見られた。しかし、もっとも驚いたのは、裏路地に戦前の出桁造りの建物があったことである
調べてみると、この台地上には大正時代に、陸軍被服本厰倉庫が移転してきたことによって、町が拓けたようだ
台地上には、稜線に沿って曲がりくねった道が続いており、その通りが商店街になっていた
すでに廃業してしまった店舗が大多数を占めて、いわゆるシャッター街になってはいるが、まだ営業している店も残っていた
廃業してしまった店は、戦後型の看板建築が多く、おそらく昭和中期ごろには、けっこう賑やかな商店街だったような雰囲気であるが、現在の寂れっぷりは、川崎市の古市場銀座とよく似ている
古市場銀座と違うのは、こちらは戦前から続く商店街らしく、あちこちに、かなり古い建物が残っていることだろう
この物件は、あまりのもじゃっぷりで本体が見えなくなってしまっているが、多摩地域でよく見られる銅板葺きの屋根を持った平屋で、おそらく戦前、でなくとも戦後の早い時期に建てられたものだろう
「田那辺工務店」は、戦後型のようだが、ピタリとくっついている「加藤」とガラス戸に記されている隣の看板建築は、木製のベランダも残っていて、かなり古そうだ
商店街から隣の板橋区の志村、小豆沢方面を臨む。標高20メートルといったところか?
これだけ高い場所にある商店街というのも珍しいが、交通機関から完全に見放されたロケーションのせいなのか、あまりひと通りもなく、しらけた空気が漂っていた
曲がりくねった商店街をしばらくすすむと、右手にまたしても急坂が見えてきた(写真は歩いて来た方向を振り返って撮影)
その坂は「蛇坂」という名称のようだ。ここにも北区が標注を立てている
標注の説明文によると……この坂は蛇のようにくねっているから蛇坂と呼ばれるようになった。坂の下の谷戸は北谷と言われ、湧水の池があり釣り堀になっていたそうだ
秋には空いっぱいのギンヤンマが飛んでいたというが、先ほど見下ろした風景からは、まったく想像できない。あれではギンヤンマどころか、シオカラトンボがせいぜいだろう
蛇坂の脇には
かなり古そうな建物の「倉上米店」という精米店があった。街灯についていた看板から、ここが「三岩通り商店会」という商店街であることが判明した
しかし、この三岩通り商店街は……
区画整理で、先ほどの商店街より道幅は広くなっているが、開いている店がほとんど見当たらなかった
蛇坂から先は、区画整理されてしまったために、それまで曲がりくねっていた道が、いきなり真っ直ぐにされているため、著しく風情が削がれた雰囲気にかわっていた
Googleで検索してみると、どうやらこの並びに、ほんの数年前まで、出桁造りの見事な建物の書店があったようだが、残念ながら取り壊されてマンションにされてしまったようだファッキン!
しかし、台地の稜線を通っていることはかわらず、商店街の右側は常に急坂。という、坂道好きなら大喜びするロケーションが続いている
きれいな脚の女の子が自転車で通りかかったが、歩きスマホならぬ自転車スマホで走行していた。マジで危ないからやめようね
珍しく開いている店はクリーニング屋で、軒先テントには「cleaning & speed」ではなく「cleaning & スピード」と表記されている。なぜスピードだけカタカナなのかその理由がわからない
などと、どうでもいいことで悩んでいたら……
さらに速そうな“ハイスピードクリーニングの「うえむら」という店があった。しかし、こちらは廃業してしまったような雰囲気で、スピード競争に負けたのだろうか?
その向かい側には……
1970年代風のモダン(つまり古臭い)な団地のような集合住宅を見つけた
このジャンルは、けっこう好物なので、見かけると反射的に撮影してしまうが、絵的にあまりインパクトがなく、たいていボツ写真にしてしまうのだが、たまには載せてみる
そういえば以前、書店にて昭和の団地ばかり撮影した写真集を見たことがあるが、ということは、一定の団地マニアが存在するということなのだが、残念ながら周りにはひとりもいない
などという思考にとらわれていたら、そのとき何かの視線を感じたので、ふと脇道方向の足元に目をやると
なんだ、君だったのか
いつものように、なでなでしようと近づいたら、あっという間に逃走されてしまったファッキンシット!
しかし、この猫が逃走した方向を見ると、なにやら商店街の続きのようだったので、ふらふらとそちらに足を向けた
この偶然が、意外な物件との出合いになるなどとは、このとき僕はまだ思ってもみなかったのである
続く
†PIAS†
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