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何度も苦言を呈しているが、なかなか「いいね」ができなくてイラっとした
最近いらねえ動画広告とか多すぎなんだよまったく。そんなクダラねえことする前に、やたらと重いのとエラーの多発なんとかしやがれファッキン!!
という前おきはともかく
今回からまたしても横浜を散策する。といっても、おそらくわざわざ観光にゆくひとなど、まず誰もいないであろうマイナーなエリアである
したがってランドマークタワーとか、赤レンガ倉庫とか、港の見える丘公園とか、元町とか、そんなコジャレたものは一切出てこないし、お洒落な雰囲気などカケラもないことを、最初に断っておく
さて、前回の横浜散策で歩いた鶴見がえらく気に入ったので、今回は、鶴見区の隣の神奈川区の繁華街である大口の商店街を散策する
大口の商店街は、京浜急行の子安駅とJR横浜線の大口駅のあいだを結んでいる商店街で、大型商業施設を除くと商店街としては、鶴見駅のものよりも、賑わいでは勝っているのではないだろうか
しかし、ここでいきなり本丸に乗りこむのは、僕の流儀ではない。まずは外堀から埋めてゆくために、大口の商店街とは、京浜急行の線路の反対側である海のほうから見てみる
ーーが、その前にまずは、なんとなく商店街のある子安駅の隣駅、新子安駅の様子を見に行ってみると
南口の駅前には、いきなりこんなとぐろを巻いた邪魔くさい道があり、度肝を抜かれる
これはなんだ。と、Googleマップを開くと、呆れたことに、よりによって駅前に産業道路の出口があるようだ。なぜこんなところに……
さらにマップをよく見てみると、この新子安駅は、京急とJR両方の駅があるくせに、商店街が存在しないようだ
不可解なのは、賑やかな商店街のある子安には京急の駅しかなく、JRが通過してしまうことで、なんのために商店街もない新子安駅には停車するのか、まったくその理由がわからない、てか、バカじゃねえの
などと理不尽なJRの所業にプンプンしながら、国道15号線(第一京浜)をわたって、なんとなく歩いていたら
こんな道標が立っていた
なにか宿場もしくは街道がらみの道標が、と思ってよく見ると、そこには「ケチャップ発祥の地」と記されていた
どうやらこの場所で、我が国初のケチャップが作られたようだ
Wikipediaによると明治29(1896)年、清水與吉という人物が創業した清水屋が、明治30(1903)年に、日本で初めてケチャップを製造した。とある。一瞬、新選組にいた清水卯吉と勘違いしてしまうような名前である
そのころのケチャップは、あまり美味しそうな色ではなかったらしく、醤油と同じ感覚のウスターソースに比べて、なかなか普及しなかったそうだ
ちなみにケチャップのルーツは、中国南部や東南アジアの魚醤で、当初は魚やキノコ、野菜などから作っていた。つまりケチャップはニョクマムや日本のしょっつるの遠い親戚とも言える
トマトケチャップが発明されたのは、もちろんアメリカだが詳しいことはわからない。ただ、最初に文献に登場するのは1700年代末期なので、少なくとも「鬼平犯科帳」の時代には、すでに存在していたのではないだろうか
第一京浜は、やたらと交通量が多いだだっ広い道路なので、清水屋があった明治の昔ならともかく、商業的には郊外の国道などと同じ条件に当てはまり、車で行けるマックやファミレス以外の店は、ほとんど壊滅してしまったようだ
時おり廃業した古い商家だった建物が見られるが、ひとの温もりといったヒューマンな要素は一切なく、殺伐とした風景が続いていた
新子安駅の周囲には、ファミマと数軒の店舗が残るだけで、あとは買い物をするような店が、ほとんど見られなかった
どうやら、かつては京急の線路に沿った通りに、商店街らしきものがあったようだが、ほとんどマンションに建て替えられてしまっており、まるでゴーストタウンのような雰囲気だった
マップを見ると、あとは駅にくっついて中型のショッピングモールがあるだけで、駅の反対側の内陸部には……
なぜか老舗っぽいこの1軒の和菓子屋と、数軒の飲食店があるだけで、あとは店など一切見当たらず川越の隣の南大塚のほうが、何倍も栄えている
あまりに見るべきものがないので、あきらめて隣の子安に移動することにした
子安の駅の南口も、似たりよったりの寂れた雰囲気だったが、駅の出口の前には蕎麦屋があり、その横にある行き止まりの路地には、バラックが並んでいた
気合いを入れてバラックを撮影しようと思ったら、なにやら作業服を着た工務店風のひとたちがやってきて、工事をはじめたので撮影はあきらめて、第一京浜の向こう側(つまり海側)を見にゆくことにした
前述のとおりだだっ広い国道なので、なかなか信号が変わらずイラっとさせられる
このように自動車道が優先という、高度経済成長期の理論がいまだにまかり通っているような野蛮な国は、自動車がないとどこにも行けないアメリカのようなど田舎はともかく、先進国では日本ならではの特徴である
国道の反対側には「横浜コヤスホール」という、まるで古民家のような造りをした謎の建物があった
僕はこういうのが気になるタチなので、その場でググってみると、なんてことはない葬儀社のようだ。ホムペに「NHKで紹介された」と書かれている意味がよくわからないが
第一京浜沿いは、明治創業のケチャップ屋があったことからわかるように、昔からの道筋のようで、戦前のものらしき出桁造りの古民家をリフォームした物件があちこちに残っていた
鶴見の海沿いは、工業地帯だったので米軍によって焼夷弾をバラまかれ壊滅してしまったが、ひなびた漁港だった子安はスルーされたようだ
わずかに残った出桁造りや戦後のバラック建築の建物は、どうやら元は商売をしていた形跡があったが、ラーメン屋が1軒残っているほかは、すべて廃業してしまったような気配だった
それにしても、このバラックの継ぎはぎ感は、かなりアートの領域に入っている。廃屋かと思って見とれていたら、いきなりオバサンが出てきて驚く。なんだ廃屋じゃなかったのか
国道のすぐ脇はもう海で、子安漁港がある
子安漁港というものがあることは知っていたが、まさか国道のすぐ脇に船溜まりがあるとは思ってもみなかった
船溜まりからバラックが見えたので、おそるおそる見にゆくと
これは、これで横浜の市街地では珍しい風景で興味深いが、どう見ても入っちゃダメそうな空気が流れていたので、いよいよ本命の大口商店街に移動することにした
大口商店街も、何度も書いている横浜の商店街の特徴である片側アーケードなので、散策するのが楽しみだ
このとき僕は、大口にはあまり期待しておらず、まあツマラナイ商店街なら、前後2回ぐらいの記事にまとめて、サラッと流すか……
と、いたって気楽に考えていたのだが、大口商店街が、あのDEEPな鶴見に勝るとも劣らない味わい深い場所だとは、知るよしもなかったのである
続く
†PIAS†
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