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調布百店街と畑の赤い花《夕暮れ調布さんぽ》②

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調布駅に向かう前に、あまり行ったことがなかったので、布田駅の周囲も見に行ってみることにした

 

前回の記事に掲載した道路拡幅工事が行われていたのとは正反対、旧甲州街道の南側である

 

 

 

 

 

 

 

 

布田駅の近くは、再開発で様相が一変した調布駅付近とは異なり、高いビルなどもなく、やたらと道路が広くなっているほかは、あまり印象がかわっていなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

駅を過ぎると、トラス構造で組まれた鉄骨むき出しの車両置き場があった

 

どうやら僕は、このトラス構造に惹かれてしまう傾向があるようで、鉄橋とか鉄塔に弱いのは、そのためであろう。したがってクラウザーBMWとかビモータkb2のようなバイクにも萌える。ヤマハSDRなんてのもあったよね

 

 

そういえば友人の漫画家えのあきらが、川口のバットモーターズのK山氏と企んでいたビモータの125ccレーサーのフレームに、SDRのエンジンを載せる計画ってポシャったのかな

 

 

 

 

 

 

 

 

その先には、ちょっと鋭角さには欠けるが、これも大好物の鋭角交差点があった

 

この鋭角に交わる道は、これと反対側も鋭角に交わっていて、おそらくこの細い脇道のようなものが、かつての道筋で、例によって、それに新しい道を無理やり上書きしたため、このような鋭角交差点が発生したのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

鋭角交差点の先は、布田南通りという名前の道になっていた

 

信号の標識には「椿地蔵前」と記されており、こういう古いものがあるということは、やはり鋭角交差点は、古道の名残のようだ。布田南通りには、やけにメタリックな看板建築が2棟並んでいた

 

 

布田方面から住宅街の狭い道をとおり、調布駅に向かってしばらくゆくと……

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり広々としたビニールハウスの畑に出くわした。この写真は、少し明るく加工しているが、わざと花の彩度を上げたのではない。本当に真っ赤な花が咲いていたのだ

 

今は、ほとんど住宅街になってしまったが、かつてはこのような畑ばかりの場所だったのだろう

 

 

あれっ、そういえばこの赤い花って、もしかしてカンナ?

 

カンナといえば思い出すのはユーミンの「カンナ8号線」という曲だろう。タイトルのカンナ8号線は、環状8号線にかけたシャレだが、僕は地元なのに、環八の中央分離帯にカンナが咲いているのを見たことがない

 

 

この畑から200メートルも行かないうちに

 

 

 

 

 

 

 

調布の市街地に出た。今や郊外の駅周辺には、どこもこのようなでっかいビルが建ち並び、画一的な町並みになってしまった

 

この写真の場所を、画面の右方向にワンブロック行ったところの

 

 

 

 

 

 

 

 

この路地を入って左側に……

 

 

 

 

 

 

 

 

昔ながらの雰囲気を残した「調布百店街」という飲食街がある。この写真は前の写真の反対側、旧甲州街道から見た百店街である

 

百店街には、年末用のイルミネーションの仕掛けが施されていた。暗くなったら、また来てみよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、この百店街の雰囲気は、店は入れ替わっても僕が高校生のころからほとんどかわっていない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、この「ちとせや」って洋品店も昔のままだなあ、と少し感慨にふけるが

 

 

 

 

 

 

 

 

調布の駅前付近は、昔の雰囲気とはまるでかわってしまっていて、写真を撮る気にならずに通過して、旧甲州街道に戻った

 

調布駅付近の繁華街が終わったあたりから、それまでの賑やかな雰囲気が、一気に寂れた旧道の雰囲気に変わる

 

 

それは、かなり唐突な変化で、それまでズラリと並んでいた店が、ある交差点を境に、いきなりなくなるのだ

 

その交差点には、4棟の古い建物が集中的に残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この建物などは、見事に昔の街道沿いの商家の構造のまま残っているが、店舗の部分は残念な姿にリフォームされてしまっていた

 

この交差点は、珍しいことに十字路の4方向のうち、調布駅に近い1ヶ所を除いて、すべての方向に古い建物が残っている

 

 

次回は、残り2方向の物件を紹介しよう

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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旧甲州街道の不思議な物件《夕暮れ調布さんぽ》③

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旧甲州街道は、京王線の調布駅のワンブロック北をとおっている。したがって、調布駅の近くにはパルコがあったりして賑やかな繁華街である

 

しかし西にしばらく行って、前回の記事に掲載した魔改造古民家がある交差点を境目に、それまでの賑やかな様子から一変して、風景は、いかにも寂れた風情にかわる

 

 

前回掲載した物件と旧甲州街道をはさんだ斜め向かい側には

 

 

 

 

 

 

 

 

このような土蔵造りの商家が残っている。オレンジ色の軒先テントには「教科書 金星堂」と記されているので、教科書の専門店のようだ

 

それにしても、こちらの建物も魔改造されてしまっているので、横から見ないと古民家にはまったく見えない。おそらく隣が更地ではなかったらこの建物が土蔵造りであることは、わからないであろう

 

 

この金星堂の向かい側には、以前から気になっていた建物がある

 

 

 

 

 

 

 

 

このどう見ても昭和初期ごろ造られたような窓のない重厚な建物だ

 

向かって右側の建物にはシャッターがあるので、なんとなく以前は店舗だったような雰囲気だが、左側の建物は、開口部が一切なく不気味な雰囲気を醸しだしていた

 

 

そして、ふたつの建物のあいだには、鉄製のクラシカルなアーチ型の扉があり、まるで刑務所のような厳重なたたずまいである

 

この建物がある一角は、広範囲にわたってひとつの施設のようで、てっきり寺院だと思ってGoogleマップを見ると、そこにはなにも記されていなかった

 

 

まさか怪しい団体の施設、もしくは企業の秘密研究所のようなものじゃないだろうな。と、横はどうなっているのか見にゆくと……

 

 

 

 

 

 

   

 

個人宅にしては、あまりにも厳重な門で固く閉ざされていた

 

門柱を見ると、ますます宗教団体を彷彿とさせるワラビかゼンマイのような怪しいデザインなので、よもや個人宅ということはあるまい。ということは、やはり宗教関係なのか?

 

 

と、どうでもいいことで頭を悩ませていたら、このゼンマイのような門柱のある建物の向かい側には

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなおもむきのある平屋の古民家が建っていた

 

どう見ても無住に見えるので、最初は廃屋かと思ったらGoogleマップによると小島町会館と出ていた。なるほど町内会の建物なら無住に見えて当たり前だろう

 

 

小島町といえば、前回の記事の最後に掲載した魔改造古民家の真横が、甲州道中小島一里塚があった場所である

 

 

 

 

 

 

 

 

怪しい建物の隣は、いたって普通の「黒田建材」という店だった

 

 

比較的新しい建物なのに「凸型看板建築」なのが偉い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土蔵を備えた古民家があった

 

その土蔵の脇には「パールライス本社工場」の看板が掲げられていた。へえ、パールライスって、こんなところにあったのか。でも案内に記されているのが矢印だけで、よく国道沿いなどで見かける

 

「→この先1.5キロ」のような具体的な指示がないのがちょっと不思議

 

 

このあたりは、それまでの賑やかな街道沿いの雰囲気から、寂れた旧道そのものの風景で、昔は農村地帯だったことが想像しやすい。どちらかと言えば僕はこの寂れた景色のほうが落ち着く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、ところどころに古そうな商家があるのが、いかにも旧道っぽい雰囲気を盛り上げる

 

この「島田園芸店」などは、比較的新しい戦後型の看板建築なのに、わざわざ擬石風のファサードにしてあり、まるで戦前型看板建築へのオマージュのようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

見るからに古そうな住宅があった。この赤い塗装のトタン屋根は、武州の古民家の典型的なパターンである

 

この赤い屋根の古民家の先で、旧甲州街道は鶴川街道と交差していた

 

 

鶴川街道は、川崎や町田では僕もよく利用する道であるが、都内だとこんな場所をとおっていたのか。と、ひとつ賢くなった気分を味わう

 

この街道は、かなり道幅が拡げられてしまっているので、古民家などは残っているわけないよな。とは思うが、念のため見に行ってみたら……

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず「おおっ!」と感嘆するような見事な平屋の看板建築が残っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、素晴らしい。木製のドアといい、錆びて塗装が剥げ落ちたスカイブルーの看板といい、文句のつけどころがない物件だ

 

看板の文字は、ほとんど風化しておまけに錆びついているので、目を凝らして見ても、なんとなく「大友○○店」としか判読できなかった

 

 

このあと西調布まで行くつもりだったが、あたりはすっかり暗くなってしまったので、繁華街の調布駅付近とは異なり、おそらく暗くて撮影不能と判断し、来た道を引き返すことにした

 

 

 

 

 

 

 

 

パルコにさしかかったときには、すっかり夜のとばりが降りていた

 

この少し先の右側には……

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな味わい深い看板建築の「名糖牛乳」の販売店があった

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、次回はこのシリーズ最終回。夜の旧甲州街道の写真と、前回の記事で言及した「調布百店街」のイルミネーションを見にゆく

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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調布百店街のイルミネーション《夕暮れ調布さんぽ》④

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旧甲州街道と鶴川街道の交差するあたりまで来たら、すっかり陽が暮れてあたりは真っ暗に……

 

当初は西調布まで行く予定が、あきらめて調布駅まで戻り、その界隈の夜景の撮影に切り替えた

 

 

夕方は明かりが灯っておらず、電線が危なくないのかとコメントで指摘されていた電飾が、そろそろ灯っているはずだ

 

 

 

 

 

 

 

 

あっ、ちゃんと光ってる……けど、なんか地味なんだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

旧甲州街道をわたり間近で撮影したけど、やっぱり地味だったので、久しぶりにHDR加工で派手に見せかけてみた

 

今の季節は、どの方のブログを見ても豪華絢爛たるイルミネーションが載っているので、ひとつぐらいこんな商店街の地味なやつが出ているのも新鮮でよかろう

 

 

ーーと、商店街イルミネーションは、このへんにしておいて、まだ見ていなかった「旧」じゃないほうの甲州街道、つまり現在の甲州街道である国道20号線を見にゆくことにした

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが現在の甲州街道、国道20号線である。写真の奥の明るいところが調布の中心街だ

 

旧甲州街道は、駅前の繁華街をとおっているが、こちらはけっこう離れているので、郊外型の店などが点在するだけで、かなり地味な印象はぬぐえない

 

 

そういえば、この写真の右側に写っている手前から2棟目の雑居ビルに、昔、中古CD屋があり、何度か入ったことがあるが、もうとっくの昔になくなっているだろう

 

たしかブラジルのシンガーソングライターのフラヴィオ・ベントリーニのアルバムを買った記憶がある

 

 

 

 

 

 

 

 

甲州街道と駅から続く商店街の端には、こんなヒョロヒョロのビルが建っていた

 

甲州街道を横切った通りの反対側には、古刹・布田天神社があり、歴史を感じさせる並木道があるので行ってみたら

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、そうだよね。だいたい想像はしてたけど、やはり真っ暗だった

 

調布駅の周りは、あらかた見終わったので、今度は夜の旧甲州街道の撮影に向かう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかにも老舗といった風情の「ほうきや 本店」が、ちょうど店じまいをしていた。ほうき屋だから日常雑貨の店だろうか。この並びに昔は古書店があったと思うのだが跡形もなかった

 

しかし、本店ということは、どこかに支店があるのだろうか?

 

「いづみや」という店はまだ営業していた。「いずみや」ではなく「づ」のところが、いかにも老舗である

 

 

 

 

 

 

 

 

初回の記事に写真を掲載した鮮魚、仕出しの「布田屋」にも明かりが灯っていて旧道風情を盛り上げる

 

しかし、この先は、さしておもしろいものもなく国領駅まで戻ってしまった。このままだとオチがつかないので、狛江方面に残っている渋い看板建築を撮影しにゆくことにして、狛江通りをすすむ

 

 

 

 

 

 

 

 

あった、あった。この店は鋸の専門店で、おそらくプロ御用達だと思われる

 

店の看板には○○屋といった普通の屋号ではなく「二見屋浦吉」という、おそらく鋸を製作している職人の名前のところがますます渋い

 

 

これで本格的に見るものがなくなったので、なんとなく東京慈恵医大病院のほうに向かうと、慈恵医大病院の門前から商店街がはじまっていることに気がついた

 

この狛江通りは、それこそ高校生のころから数え切れないぐらい通っているのに、この商店街には気がつかなかった。ちょっと興味があったので、商店街を散策してみることにした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれっ、まだ午後6時を過ぎたばかりなのに、ほとんどの店が閉まってるんだけど……

 

 

オレンジ色の看板と軒先テントがかわいい「snack インディラ」という店が、やけに目を惹くが、ずいぶん前に廃業してしまったような雰囲気である

 

インディラとは、まるでカレー屋のような店名だ。カレーが名物のスナックだったのだろうか?

 

 

この商店街は、国領駅からも狛江駅からも1キロ以上離れたところにある

 

おそらく慈恵医大病院と、近くにある大きな都営住宅のために自然発生したものと考えられるが、ここでもご多分に漏れずシャッター街化が進行しているようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

でなければ、商店街の定休日だとしか考えられないが、見た感じの印象では、やはりシャッター街のような気がする

 

看板にお約束の「牛・豚・鶏」と記されたこの精肉店も、住居部分の2階も真っ暗で廃屋のように見えた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この商店街は、まっすぐではなく、その中ほどのパン屋のところで、で鍵の手に曲がっていた。宿場町でもないのに曲尺手というのは、かなり珍しいのではないだろうか

 

 

カクカクと曲がっている場所には、なぜか「snackときわ」「スナック コスモス通り」など、飲み屋が固まっていた

 

建物はどれも新しいが、なんとなく1970年代を想起させるフォントのロゴなのが興味深い

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、けっこう明るい商店街なのに、ほとんどの店が閉まっていて、誰ひとり歩いていないのが、まるで細菌戦争で人類が死滅した町を歩いている感覚になる

 

 

しばらくすすと謎の商店街は、住宅街に飲み込まれるようになくなり、そこから先は真っ暗な道が続いていた

 

住宅街をしばらくゆくと、唐突に十数軒ぐらいの店が固まった小さな商店街に出た。その商店街は丁字型に店が並んでおり(タイトルバックの写真)、南西方向に向かう道が下り坂になっていた

 

 

その坂を下ると降りたところには、府中用水の支流らしきカラカラに乾いた開渠があり、そのさらに先には……

 

 

 

 

 

 

 

 

多摩川の土手が立ちふさがっていた

 

もう真っ暗なのに、土手のサイクリングコースには、散歩やジョギング、サイクリングをするひとが、ひっきりなしに通過してゆく。さすが人口過密都市だな

 

多摩川の対岸に見えるマンション群は、南武線の中之島の住宅街である。余談だが、いちばん左側のマンションには、その昔アパッチ賢(中本賢。知ってるひとは相当なマニア)が住んでいた

 

 

こんなところまで来たら、もはや狛江の駅は目と鼻の先である。冬枯れの桜並木をしばらく歩いて、狛江で小田急線に乗って帰宅することにした

 

 

 

《夕暮れ調布さんぽ》おしまい

 

次回はブロ友「なつみかん」さんから振られた「2018年わたしのお気に入りフォトバトン」ようするに、いつも年末にやっている「201*年間ベストショット」の前哨戦を掲載する

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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2018年お気に入りフォトバトン

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いつもは考えてもみなかったんだけど、今年は誰かが振ってくるんじゃないかと思っていたら、なつみかんさんから来てしまいました「お気に入りフォトバトン」

 

ご存じのとおり、僕のブログはやたらと写真枚数が多いから編集画面で探すのめんどくさいんだよね。しかも、毎年やってる「20**年ベストショット」と微妙にネタかぶるし……

 

 

とはいえ、素敵な女性からのたのみごとは、決して断らないという僕のポリシーにしたがって、めんどくさいけど選んでみた(←やけに恩着せがましい)

 

ルールだと誰かに振るみたいなんだけど、付き合いのあるブロガーさんは、もうすでに振られてしまった方ばかりなので、僕はとくに誰にも振りません

 

 

3枚とのことだったけど、それだと流れが作れないので、勝手に3テーマということに変更するので悪しからず

 

あっ、ちなみにタイトルバックは新規に加工した鶴見線の国道駅。モノクロにすると、まんまゴシックロマンだよね

 

 

 

 

 お祭り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 建物

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひと、町

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、まあこんな感じ

 

雪に赤い傘の写真の雰囲気が某ソール・ライターにそっくりなのは、まったくの偶然で、狙ったわけでは決してない

 

 

選んだ写真のなかでも……

 

大口の看板建築の前を横切る黄色い日傘の女性、代々木公園フリマのイチゴのような雰囲気の母娘、荻窪駅前のアーケードの老舗喫茶店「邪宗門」のおばあちゃんと少女は、とくに印象に残っている

 

 

えっ、女性の写真が多すぎる? 無意識で撮影しているから、これはあくまでも偶然……かな

 

 

あっ、あと、猫の写真が1枚もないのは、年末に初の「猫 総集編」をやろうと画策しているためである

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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封印された昭和の町へ《横須賀タイムカプセルtown》①

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少し間が開いたので、忘れているかもしれないが横須賀の記事の続きである

 

 

 

皆ヶ作の赤線跡地の散策を終えて、京急田浦駅の周辺はだいたい回ったが、まだお日様は高いところにあった。この日は、気合いを入れて珍しく午前から歩いたからだ

 

しかし、あまり早く家を出すぎたので、散策が予定より早く終わってしまい、どうしようかと考えていたら、東芝ライテックの工場の真横にあるバス停に、たまたま横須賀線田浦駅行きのバスがやって来たので、反射的に飛び乗った

 

 

バスに揺られていると横須賀線田浦駅に向かう車窓から、あり得ないような風景を見て、それを見にゆくため、横須賀街道(国道16号線)に出たが……

 

とりあえず駅がある谷戸の住宅街がおもしろそうなので、そちらを先に見ることにした

 

 

 

ーーというのが、前回までのあらすじである

 

 

 

 

 

 

 

 

京急とJRは、田浦という同じ駅名なのに、まったく連絡のない、別の谷戸にある。この町には京急とJRが立体交差している場所があるにも関わらず、だ

 

田浦にかぎらず京急とJRは、連絡できる場所が何ヵ所もある(子安とか)のに、わざとのように離れたところに駅を設置している。これは、おそらく利用客を奪いあっていたころの名残であろうが、相互乗り入れが常識のこの時代、利用客をバカにしているとしか言い様がない  

 

横須賀市のじり貧状態は、この不便な交通アクセスが大きな一因のひとつであることは、まちがいないだろう

 

 

京急田浦の谷戸とは異なり横須賀田浦駅のある谷戸は、野球場ぐらいの幅しかないくせに、奥行きはかなり深いようで、曲がりくねった道に住宅街が続いていた

 

谷戸の細い道には、かなり古い建物が並んでいるので、駅が開設されたころから住民がいるようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

崖上の住宅に向かう階段から谷戸を撮影する

 

ご覧のように谷戸の反対側の崖が、こんな近くにある。つまり、たったこれだけの幅しかない谷戸に、横須賀線の田浦駅があるわけだ

 

 

これには、れっきとした理由があり、つまり横須賀線田浦駅は、住民のために開設されたのではなく、駅の反対側にある港のために造られたためであろう

 

谷戸の奥まで行ってもしかたないので、バスの車窓から見えた物件のほうに向かう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目的地は、京急田浦の谷戸と横須賀線の谷戸の真ん中の谷戸にあるので、トンネルを抜けなければ辿りつくことができない

 

 

通常、このような広い国道のトンネルなどは、車がビュンビュン通って鬱陶しい上に、なんとなく恐い感じがするから、あまり歩行者は通らないが、田浦地区は、ほかの通行ルートは山越えしかないので、けっこうひと通りがあった

 

僕がトンネルを通行中にも、幼い子どもを連れた家族や、自転車に乗った学生風の男とすれ違った

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネルを抜けたところが田浦地区でもっとも大規模な谷戸である

 

これはトンネル出口にあった歩道橋から撮影したショットだが、画面の右側、横須賀街道の横浜方面に向かう車線の出口付近に……

 

 

 

 

 

 

 

 

このような古い祠が設置されていた。どうやらこの地区が、かつての田浦の中心地だったようなので、これはかなり期待できそうな展開である

 

この祠のすぐ後ろには……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全に打ち捨てられた廃屋の古民家があった

 

ふと、入り口のドアを見ると、驚いたことに肩の高さまでぎっしりゴミが積み上がっていた。ちょっとサイコな雰囲気である

 

 

 

 

 

 

 

 

この廃屋古民家のすぐ並びから、谷戸の奥に向かって斜めの路地が切れこんでいたので目的地に向かう前に、ちょっと様子を見にゆくことにした

 

その路地の入り口には、田浦の観光案内の絵地図が掲示されており、それを見ると、僕が抜けてきたトンネルの向こうには、ループ橋があったようだが、戻るのがめんどくさいので先にすすむ

 

 

田浦には梅林があって、それが名所のようだが梅とはまったく関係ない季節だから、そちらもスルーの方針を決めて、とりあえずちょっとだけ町の様子を見にゆくことにしたが……

 

これが“ちょっとだけ”では済まず、なんと3時間以上この町を徘徊する羽目になってしまった

 

 

というのも、この路地に入ったとたん……

 

 

 

 

 

 

 

 

えっ、ちょっと待て。これは看板建築!?

 

すっかり住宅にリフォームされてしまっているが、明らかに看板建築だった痕跡、しかもかなりクラシカルな様式である

 

 

 

 

 

 

 

 

主屋の部分を見ると、やはりかなり古い建物のようだ。それにしても、やけにカッコいい建物だ

 

そして、ふとこの看板建築の向かいにある建物に目をやると

 

 

 

 

 

 

 

 

ええっ、今度は文化住宅じゃん!

 

敷地内には屋敷神などもあり、かなり古い建物であることは間違いない。というか、おそらく昭和初期ごろの建造であろう

 

 

普通のひとなら見落としてしまうような地味な物件であるが、古民家ハンターの目は誤魔化されない。これはただ事ではない。と、テンションはレッドゾーンに突入した

 

 

 

 

 

 

 

 

その少し先には、こんな廃屋があり、さらにその先には、こんな物件が

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、素晴らしい! 看板の文字がかすれて読みとれないが、どうやら八百屋のようだ。しかも今度の店は、現役で営業しており、僕が見ているあいだにも、客が入っていった

 

 

すがれた雰囲気に八百屋に感激していたら、その先には決定的な物件が!

 

 

 

 

 

 

 

 

純和風の平屋の商家である

 

これはもう、戦前から続いている商店街に間違いないだろう。均整のとれた美しい建物にしばし見とれる

 

それにしても、今は商売をやめてしまったようだが、どんな業種だったのだろう。この雰囲気は呉服屋かな?

 

 

 

そしてここから、怒濤の古民家ラッシュがはじまったのである

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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川沿いのゆるい商店街《横須賀 タイムカプセルtown》②

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横須賀街道(国道16号線)から斜めに切れこんでいた路地に入ると、そこには昭和のまま時間が止まったような商店街が続いていた

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事にも掲載したこの平屋の商家などは、明らかに戦前から続いている老舗であろう

 

かなり念入りに手入れされているようで、相当古い建物なのに、チリひとつないほど磨きあげられていて、少しもヤレた感じがしない

 

 

現役で営業している八百屋もあったが、ここでもまた廃業してしまったような店が目だっていた。写真は掲載していないが、下の写真のほかにも廃業してしまった店が何軒もあった

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このような廃業した店が並ぶ商店街には、たいてい付きまとっている荒廃感を感じることはなく、その反対に心安らぐような、どこか懐かしい空気が流れていた

 

 

 

 

 

 

 

 

建物のあいだに、不思議な廃屋があった

 

一見すると、どこにでもある(よく見ると傾いていた)ような木造平屋の倉庫風の建物であるが、屋根の上に注目してほしい

 

 

これが、養蚕農家の建物に特有の「煙出し」のように見えてしかたない。三浦半島で養蚕が行われていたとは、聞いたことがないが、はたして?

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるい商店街は、川沿いをぐねぐねと続いていた

 

ところで上の写真を見たら、商店街に足を踏み入れてから荒廃感を感じなかった理由に思いあたった。写真にお年寄りの後ろ姿が写っているように、この町は、シャッター街などとは異なり、常に誰かが歩いているのだ

 

 

しかし気になるのは、お年寄りの左側に写っている錆びついたブリキの倉庫のような建物に貼ってあった

 

 

 

 

 

 

 

 

この「美味しい まめ」落花生製造直販・石井商店のかわいい看板であろう。この看板のゆるい感じが町の雰囲気とマッチして、なんとも言えないノスタルジーが漂う

 

 

ここで、ちょっと断っておくが、僕のブログは決してノスタルジーを追求したものではない。だいいち今回取り上げた赤線や、出桁造りの商家などは、僕が生まれるはるか以前の物件だ

 

もちろん近所に、赤線などはなかったし、そうしたものが現役だった時代など知るよしもない

 

 

ただ、僕が「ああ、これいいなあ」と思うものが、たまたまそうしたレトロ物件だというだけで、これはノスタルジーというより、新しい流行に飛びつくひとがいるのと同じで、僕が興味のあるものを追求すると、たまたまこうしたものになった。というだけである

 

 

 

 

 

 

 

 

「美味しい まめ」の看板のすぐ先には、自家用橋を備えた古民家があった。柿の木がよく似合う建物である

 

この町の風景は、とにかく僕のツボに豪速球を、ことごとく直球で投げ込んでくる

 

 

 

 

 

 

 

 

古民家の隣には酒屋があったが、どうやら定休日のようだ

 

店の脇には、真新しい「梅ワイン」の幟がはためいているので、廃業したわけではないだろう

 

しかし、梅ワインは、梅酒となにが違うのか考察してみると、梅酒はホワイトリカーをベースに、それに梅を漬け込むが、梅ワインは、梅そのものを発酵させて酒にするのだろう。酸っぱくはないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

酒屋の先で、川が幅広のコンクリート蓋暗渠になっていたが、Googleマップを開いてみると、すぐ先で再び開渠になっており、この部分だけがなせか暗渠になっていた

 

マップを見ると、この川沿いに道が続いていて、2キロほど先を横切る横浜横須賀道路まで、道沿いに点々と集落が続いているが、店舗があるのは、このあたりまでのようだ

 

 

現在は酒屋の倉庫になっているらしき上の写真の廃業した商家の並びには、軒先テントが骨組みだけになった商家があったので撮影した。それが今回のタイトルバックの写真である

 

そして、その隣には……

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず「ち、ちっさ!」と、声が出るような、こんなかわいい古民家があった

 

家の前には花壇なともあり、やけに小さいが、ちゃんと一軒家の要素を満たしているのがいじらしい。きれいに手入れされていることから見て、どうやら現役で使用されているようだ

 

 

しかし、外観から推理すると、八畳ひと間しかなさそうなんだけど……

 

 

前述のとおり、ここから先は住宅しかなさそうなので、いったん引き返して脇道の様子を探ることにした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川の続きは、こんな感じに集落の真ん中を流れていた

 

たいした川ではないのに、水辺があるだけで、その集落になんとなく潤いと落ち着きを与えているのだから、川というのはつくずく偉大な存在だと再認識する

 

こうした小川を徹底的に排除してしまった東京なんて、ろくな町じゃないな

 

 

などと考えながら歩いてゆくと

 

 

 

 

 

 

すぐ先にまたしても川が!

 

この集落には先ほどの川と平行して、もう1本川が流れていることが判明した。Googleマップでたしかめてみると、二つの川は、この先で合流して、海上自衛隊の基地まで続いていた

 

 

しかし、さらに地図の続きを見ると自衛隊基地にぶつかると、90度左に曲がり、そのあと行方不明になっていた。いったいどこで海に注いでいるのか、まったくの謎である

 

それよりも気になるのは、この川の上に張りだしていた

 

 

 

 

 

 

 

 

うわっ、なんじゃこりゃ。川沿いの建物の一部が完全に川の上にかぶさっているではないか!

 

河川敷は、当然のように国民すべての共有財産で、それを個人的に占拠することはできない。もちろん、自治体や国などの正式な使用許可

があれば話は別だが

 

 

しかし、それには例外的なパターンがある

 

以前、堀切菖蒲園の記事で掲載した暗渠商店街のような、戦後のドサクサでバラックなどが建ち、そこで長年生活なり商売を続けていた場合、それを無理やり立ち退かせることはできないのだ

 

そして、この川に張りだしていた建物は……

 

 

 

 

 

 

 

 

驚いたことに、出桁造りの商家だった。こんなの初めて見たぞ。バラックは戦後だが、こちらは戦前からの物件である

 

うーん、これはもう既得権益として国がつべこべ言ったとしても僕が認めよう

 

 

そして、この出桁造りの商家の向かい側にも

 

 

 

 

 

 

 

 

もう1軒出桁造りの商家が!

 

残念ながら軒先の部分が変にモダナイズされてしまっているが、こちらの出桁造りは現役で商売を続けていた

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、先ほどまでの商店街と同様に、こちらの川沿いにも商店街があり、しかも驚いたことにこちらの商店街は、ほとんどの店が現役で営業していた

 

 

次回は、その昭和のままの姿をとどめた商店街を紹介しよう

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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田浦のメインストリートへ《横須賀タイムカプセルtown》③

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横須賀線の田浦駅からトンネルを抜けて、最初の路地に入ったら、そこには昭和の時代から、なにもかわっていないような、川沿いの町並みが続いていた

 

その通りから、すがれた雰囲気の八百屋が角にある細い脇道に入ると、もう1本の川が流れていて、その川のほとりには出桁造りの商家があった

 

 

向かいの角には、もう1棟出桁造りの商家があって、その角から先ほどの商店街と平行するかたちで、またしても商店街があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどの川沿いの商店街は、八百屋と酒屋のほかは、すでに廃業してしまった感じの雰囲気だったが、こちらは、ところどころ歯抜けになってはいたが、まだ現役のようだ

 

上の写真に写っている剥げたトタン張りの看板建築は、店舗の部分がガレージにされてしまうという、東京のDEEP EASTエリアではお馴染みの様相を呈しているが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの「バンズ ナナミ」というパン屋(定休日のようだ)と「庄司牛肉店」は、元気に営業しているようで、他人事ながら嬉しくなる

 

どちらも昭和40年代ごろの雰囲気の漂う建物で、どうやらその時代までは、元気な商店街だったことが想像できる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御菓子司 ふじみや」には、かなり惹かれるものがあったが、この先もまだ散策する予定なので、ここで荷物を増やすわけにはゆかず、写真だけ撮影した

 

 

もちろん、元気に営業している店ばかりではなく……

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの「近江屋吉岡商店」という酒屋は、店舗の前に、ほとんど枯れた植物しか植わっていないプランターが並び、ずいぶん以前に廃業して無住になってしまった気配が漂う

 

この商店街でもっとも目を惹いたのが

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい「縁側」を備えたこの古民家である

 

この重厚な造りは、どう見ても昭和初期ごろの建造であろう。これは、たまたま横に建っていた建物が取り壊されて、更地にされたことによってはじめて見られた光景だと思われる

 

このような戦前型の建物は、これで6棟目だ。つまり、この交通インフラから隔絶された商店街は、戦前からのものと考えられる

 

 

とうやらこの商店街にも、東京のDEEP EASTエリアと同様に、後継者不足による廃業の波が押し寄せているようで、そういえば先ほどの「御菓子司 ふじみや」の横も更地にされていた

 

この古民家は、横から見るとこのような普通の家だが、この建物を商店街側から見てみると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやらこちらも以前は、なんらかの商売をしていたようだ

 

店舗部分の左側には、小さな縦型のショウウィンドウがあるので、なんとなく洋品店だったような気がするが、どうだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

この一帯は、かつては大きな商店街だったようで、脇道にも店舗だったものとおぼしき建物が散見された

 

ここでも理髪店は営業していたが、最近建て替えられたような新しい建物だったので撮影しなかった

 

 

細い脇道にも廃業した店舗がかなりあるので、昔は賑やかだったことが想像できると書いたが、調べるてみると昔は「田浦の銀座」と呼ばれるほどの賑やかな商店街だったそうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、寂れきってユルい空気が流れている現状からは、戦前は「葛飾の銀座」と呼ばれたが、ゴーストタウン化してしまった四つ木が想起されてならない

 

 

ところが前々回の記事に書いたように、この町は不思議と四つ木にあったような荒廃した雰囲気がない(道路の拡幅も行われていないし)

 

お年寄りが多いとはいえ、ほとんど通行人も見かけなかった四つ木とは異なり、やはりけっこうひと通りがあるからであろう

 

 

Googleマップで確認したところ、この商店街のある谷戸は、横浜横須賀道路が通るはるか2キロあまりも先まで、川沿いの集落が続いているので、もう少し谷戸の奥まで見に行ってみることにした

 

 

 

 

 

 

 

 

商家ばかりではなく、沿道に並ぶ普通の家にも古民家が多い

 

この建物などは、北側の屋根が下まできている造りなのおそらく戦前に建てられたものだと思われる

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくゆくと、廃業してしまったような青果店があった。横須賀街道(国道16号線)からは、もう200~300メートルは内陸に入ったであろう、こんな谷戸の奥まで商家があるのが驚きである

 

しかし、驚くのはまだ早かった

 

 

 

 

 

 

 

 

沿道のもっとも奥にあったのは、前々回の記事に看板の写真を掲載した

 

 

 

 

 

 

 

 

美味しい「まめ 石井商店」だったのだ!

 

まさか、こんな錆びついた看板の店が、まだ現役で残っていたとは驚きだが帰宅後に調べてみると、さらに驚いたことに、ここの落花生は、指定農場で作られたものを、ひと粒ひと粒丁寧に選別した絶品らしい

 

ネットに食べたひとのリポートがあったが、ここの落花生を食べてしまうと、普通の市販品など物足りなくてしかたないらしく、わざわざ遠方から買いにくるそうだ

 

 

しまった、そんな名品と事前に知っていれば、お土産に買ったのに……と思っても後の祭り

 

 

 

 

 

 

 

 

横須賀街道からは、すでにかなり奥まで入っている。Googleマップでたしかめてみると先ほどの美味しい「まめ 石井商店」が、この沿道にある最後の店のようだ

 

この先は横浜横須賀道路まで集落が点在しているだけであるが、とりあえず京急と交差しているあたりまで見てみることにした

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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横須賀街道の「かえる」に驚く《横須賀タイムカプセルtown》④

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美味しい「まめ 石井商店」の先も谷戸の奥に向かう道は、ぐねぐねと続いていたが、それまでより明らかに道の両側から山が迫っていた。谷戸の深部に達したのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細い道沿いには点々と民家が並んでいるが、かなり古い建物が混ざっていて、この町が古くからのものであることがわかる

 

 

Googleマップを見ると商店街のなかを流れていた川は、その先で二又に分かれており、どうやら「梅ワイン」の幟が立っていた酒屋の先の暗渠の先で合流しているようだが、こちらはその片割れである

 

護岸を見ると古そうな石積で、このことからも集落が古くからあることを裏付けていた

 

 

 

 

 

 

 

 

この道沿いには、わずかばかりの平地しかなく、商店街はやや平地にあったが、石井商店から先は道の両側に山が迫り、建物はこのような斜面を整地したところに建てられている

 

この古民家は無住のようで、外壁の板が一部剥がれてしまっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

古民家の先でこの道は京急のガードをくぐっていた

 

電車に乗っていると、おそらくこの区間は、谷戸と谷戸を縫うようなトンネルの連続で、景色を眺めているひとなどは皆無に近いだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

ガードから先は、ますます谷戸のわずかな平地に家が建てられ、この階段を見てもわかるように、急峻な傾斜地のあちこちにも住宅があるようだ

 

 

マップを見るとぐねぐねと続く道沿いの、いたるところにこのような階段があり、その先に何軒かの住宅が固まって建てられているようだが、そのどれもが行き止まりだった

 

そして、この川沿いの道自体が、横浜横須賀道路の先の山のなかで、道路の表示が消失していた

 

 

なぜこのような交通から遮断されたような不便きわまりない土地に集落が出来たのか、不思議でならない

 

 

マップを見てもこの先には住宅しかなさそうなので、そろそろ引き返して、いよいよバスの車窓から見た物件に向かった

 

京急田浦の赤線跡地を散策する予定でやって来たのに、こんなところまで来てしまうとは、まったくの想定外のことで、これだからテキトーな散策はやめられない

 

 

ーーと、試合が終わった運動選手のような気持ちで呑気に構えていたが、まさか、これから本当のクライマックスがやって来るなどとは、このとき思ってもみなかったのである

 

 

 

 

 

 

 

 

来た道を引き返して商店街に戻る

 

先ほどは出桁造りの古民家の角から、谷戸の奥に向かったので、まだ見ていなかった商店街の横須賀街道方面に興味津々である

 

 

いきなり廃屋があったが、その後ろの街道沿いには、近代的なマンションが建っているのが、やけに象徴的な風景だった

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりにモダナイズされてしまっているが、このクラシカルなデザインのファサードは、もしかして看板建築の床屋だろうか

 

ドアやサッシ周りは、すべてアルミによる現代的な素材で構成され、壁面は最近塗り直されているが、なんとも気になる建物だ

 

 

おそらくこれは、建て直すときに昔の姿を再現したのではないだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

うおっ、これは凄い。なんと平屋のバラック建築の八百屋があった。しかも現役で営業している

 

 

 

 

 

 

 

 

この商店街は、横須賀街道沿いにも続いていて、そちらは、さすがにひと通りが絶えないためなのか、どの店も現役で営業していたが、そちらの建物も侮りがたい実力者揃いだった

 

 

川沿いの商店街を出ると、横須賀街道との角には、いきなりこんな物件が並んでいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっとも商売に有利に思える場所なのに、なぜか2軒とも廃業してしまっているのが不思議である

 

この建物から真向かいの横須賀街道を見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか素敵な色合いの建物が!

 

 

まさか銅板葺きの看板建築か?!

 

 

 

 

 

 

 

 

あれっ、近くで見たら、なんてことはない。普通の戦後型のモルタル外壁の看板建築でガッカリした

 

 

なんでこのような緑青を吹いた銅板葺き看板建築のような塗装にしたのか、看板を見て納得

 

なるほど店の名前が「かえる」だから、こんな緑青のような緑色にしたのか。なんとも古民家好き騒がせな店である

 

 

しかし、この程度で気落ちしている余裕は、まったくなかった。この角の廃屋の並びには……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな木造建築の戦前型の商家があり、しかも元気に営業しているではないか

 

 

戦前型の銅板葺きや、モルタル外壁の看板建築は、建物自体の耐久性が高いので、都内にもかなり残っているが、このような木造はきわめて珍しい

 

古民家に特化した当ブログでも、葛飾区弘道のものぐらいしか発見できていない。ほんの十年ぐらい前には、北池袋の日の出商店街にも残っていたが、解体されてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

街道沿いの店は、どれも元気に営業しているようだが、すっかり外観がリフォームされてしまっていて、かなり古い建物だと思うのだが、パッと見ではわからなかった

 

しかし、昔の意匠はそのまま踏襲しているようで、よく見るとこの寝具店などは「凸型看板建築」であることがわかる

 

 

ようやくここまで記事がたどり着いた

 

 

ーーここからが、横須賀市田浦の本当のクライマックスである

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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*僕の私のあの曲は*

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クリスマスイブだからといって、とくに普段とはかわりなく地味に生活している。さて、ブログを通じてお付き合いのあるジョーさんもやっていたので……

 

インコさんのクリスマス企画である

 

 

“僕の私のあの曲は”

 

に便乗して、僕の音楽ライフにとって、衝撃的だった曲を紹介する

 

小学生のころ、同級生の兄貴がロック好きだったこともあり、影響されてロックを聴くようになった。最初は、もちろんわかりやすいハードロックというのが当時の定番である

 

 

パープル、ヅェッペリン、からハードロックへ。高校に入ると今度は西新宿から渋谷の輸入レコ屋に入り浸っている同級生がいて、たちまち影響を受け、ハードロックに加えてプログレやAORも聴くようになった

 

イエス、キングクリムゾンなど、極めて高度な音楽性と卓越した演奏技術に打ちのめされつつ、エイジアやスティックス、ジャーニーのような産業ロックと呼ばれるプログレから派生した音楽も聴いた

 

 

当時はロックは「産業」と言われるほどビッグビジネスだったのだ。そんなスーパーグループが ひしめきあう時代に、アメリカからAORという音楽が登場した

 

AORとはすなわち、アルバム・オリエンテッド・ロック、つまり3分のシングルを寄せ集めた安直なLPではなくアルバム1枚を通して、ひとつの世界観を作り上げるというものである

 

 

こちらも名盤と呼ばれるものは、たいてい耳に入れた。ボズ・スキャッグス、J.D.サウザーなど日本のラジオでも日常的に、AORが流れた時代であった

 

 

AORは、ロックというカテゴリーのなかには入っているが、ロックでは当たり前の「バンド」といった形態をとらず、コンポーザーが腕利きのスタジオミュージシャンを集めたユニット的なものがかなり見られた

 

そのなかでも究極と言っても過言ではないのが、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーによる「スティーリー・ダン」である  

 

 

 

 

 

 

 

 

スティーリー・ダンのサウンドは、初期のころには、まだ荒削りなロックの匂いが残っていたが「嘘つきケイティ」「幻想の摩天楼」あたりから洗練の度合いが増し、このエイジャで完成する

 

ここまで来ると、もはやロックでもフュージョンでもない、スティーリー・ダンの独自の音楽になっている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らの音は、お洒落で聴きやすく洗練されており、サラッと聴き流せるが、その実、驚くほど高度な演奏技術を駆使し、歌詞にはこっそりと毒が込められている

 

ウェィン・ショーター、チャック・レイニー、ラリー・カールトンなどの一流ミュージシャンを集め、気に入らなければ何度も同じフレーズを演奏させて、最高のテイクだけを集めて作られた音は完璧で、付け入る隙はどこにもない

 

ただ、それをほとんど表に出さず、お洒落なシティポップスに見せかけているのだ

 

 

このアルバムエイジャのタイトル曲は、当初ドラムスにトニー・ウィリアムスを予定していた。ところが彼のスケジュールが合わず、急遽、スティーヴ・ガッドに依頼することになった

 

そのとき、ベッカーかフェイゲンのどちらが言ったのかは忘れたが、ガッドに向かって

 

「あー、トニー・ウィリアムスみたいなドラムスでたのむよ」

 

 

おそらくミュージシャンにとっては、最大の侮辱であろう。キレたガッドは、ここでその怒りを演奏にこめ、目茶苦茶な演奏ではなく、余人の追従を許さぬ最高のドラムを叩いてみせた

 

このエイジャでの神がかったドラムが、彼の生涯最高の演奏だったと考える者は、僕だけではないだろう

 

 

 

 

 

 

***

 

 

あっ、そうそう今年のクリスマスの写真は、まだカメラのSDカードのなかなんで、去年のやつを貼っておきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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そして幻の商店街に出合った《横須賀タイムカプセルtown》⑤

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この記事をもって、今年の通常営業はおしまい。明日からは、いわゆる「まとめ」記事をアップします

 

「まとめ」とは言っても安直に写真を並べただけではなく、今年の流れというか、傾向を俯瞰したものに、また新たに加工し直した写真や撮りおろしの写真も加える

 

 

で、ここからが田浦の記事であるが……

 

かつては銀座と呼ばれた田浦の商店街は、出桁造りの商家なども残る昭和から抜け出してきたような町であった

 

その商店街は、横須賀街道(国道16号線)を曲がったところに続いていた……というより現状では、こちらがメインのような雰囲気で、けっこうひと通りがあった

 

 

激しく車が行き交う国道沿いには不似合いの古い建物が並んでいるが、僕がバスの車窓から見た建物には、まだたどり着いていない

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の最後のほうに掲載したこの写真のように、国道沿いには寂れたような気配がなく、明るい雰囲気の店が軒を連ねていた

 

僕が見た建物は、この先にあるはずだ

 

 

 

 

 

 

 

 

その建物に出会う前に、またしても出桁造りの商家があった

 

気になるのは、横須賀街道のほうから見ると、単なるシャッターが閉まった廃業した店だが、その横の部分だけが看板建築になっていることである

 

 

 

 

 

 

 

看板建築の部分も、店舗はガランドウになっており、そこには軽自動車が突っ込まれていた。東京の下町方面で、さんざん見てきた光景だ

 

 

凝ったかたちのファサードの真ん中には、おそらく店名が記されていたのだろうが、ファサード全体がベージュに塗装されてしまっており、どんな店だったのかは、わからなかった

 

そして、僕がバスの車窓から見つけて、行き先を変更した物件は、この出桁造りプラス看板建築の隣にあった

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、素晴らしい!!

 

近くで見ても秀逸なデザインである。看板を見ると「いわさわフルーツ」と記されているので、果物屋のようだ

 

看板の周囲をとり囲むダイヤ柄が昭和モダンな感じだが、単に塗り分けたのではなく、別のトタンを2枚張り合わせ、それを折り曲げてダイヤ柄にするという、おそろしく手間暇をかけた無意味に凝った造りが素晴らしい

 

 

それにしても、見事にレトロな看板だ。しかもこの看板はレトロを狙ったのではなく、おそらく開業当時のまま、塗装をやり直しただけだと思われる

 

というのは……

 

 

 

 

 

 

 

後ろに見えている主屋を見ればわかるように、こちらも戦前からの建物だと思われるからだ

 

よく見ると店舗の部分は木造で、造りからして、かなり古いことが類推できる

 

 

おまけに店の並びには、煉瓦の土台の古い祠まであるではないか。おそらくこの田浦の集落は、横須賀街道が国道16号線になる以前から存在した古道に出来たものであろう

 

だとすると、あのような交通インフラから隔絶された場所に、集落が出来たことも理解できる

 

 

この先で、一旦商店街は途切れるが、しばらくゆくとこんな建物が

 

 

 

 

 

 

 

 

うわっ、なんだこりゃ。どうやら毎日新聞の販売店だったようだが、店の入り口の前には、傍若無人に植物が繁茂しており、出入り不可能になっていた

 

こんな遺跡みたいな新聞販売店は、堀切菖蒲園で見たっきりである。いや、あちらは、もう少し建物の体裁をなしていたぞ

 

 

この新聞販売店の遺跡のあたりから、再び店舗が並びだした

 

 

 

 

 

 

 

 

並んでいるのは、ごく普通の戦後型の看板建築ばかりで、とくに見るべきものはないな

 

と、油断していたら、いきなりその物件が目に飛びこんできた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これにはビックリ。なんと戦前型の平屋の看板建築である

 

ファサードには「太□堂時計□」とあるので、おそらく「太陽堂時計店」のことであろう。戦前からの時計店がある(あった)ということは、やはり銀座と呼ばれたのは、伊達ではなかったようだ

 

 

この看板建築、平屋のくせに横から見てみると

 

 

 

 

 

 

 

 

驚いたことに、三層構造になっていて、ちゃんとした看板建築と同じような造りになっていた

 

おそらくこの眺めは、隣の建物が取り壊されて更地にされたことで、初めて姿をあらわしたものであろう

 

 

しかし、よく見ると二層目の部分には、凝った装飾が施されているので、隣の店舗は、やや引っ込んだ場所に建っていたものと思われる

 

この不自然な感じは、もしかしたらグレーの戦前型に、後年になってベージュの部分を増築したのかもしれない

 

 

現状では横須賀街道沿いの店舗は、途切れ途切れになってしまっているが、おそらく最盛期にはズラリと店が並んで商店街になっていたのだろう……

 

 

と、考えていたら、それを裏付けるような物件を見つけた

 

 

 

 

 

 

 

 

商店街のアーチである。そして僕の考えを裏付けるかのように、商店街の名称が掲げられていた部分が取り外されてしまっていた

 

ということは、相次ぐ廃業によって、すでに商店街は解散してしまった。ということだろう

 

 

 

 

 

 

 

それでもアーチの先の横須賀街道沿いを見ると、まだいくつかの店舗が残っていた

 

こちらは、とくになにもなさそうだったので、アーチが立てられた通り、おそらく商店街のメインストリートに向かう

 

 

逸る気持ちを抑えつつ商店街のアーチを抜けると、予測どおり商店街だったような雰囲気は残っているが、並んでいる多くの建物は、すっかり住宅に成り代わっていた

 

 

 

 

 

 

 

こちらの天婦羅「隅田川」は、まだ元気に営業しているようだが、並んでいるのは、最近建て替えられた味気ない住宅ばかりであった

 

うーん、商店街が解散しちゃうぐらいだから、この先はたいしたものはないかな……

 

 

などと投げやりな気持ちになっていたら、我が目を疑うような信じられない風景が目に飛びこんできた

 

 

 

 

 

 

 

 

これは現実の風景だろうか?

 

目の前に広がっていたのは、昔の東京の写真集などでしか見たことのない、大きく空が開けた道路沿いに、平屋の看板建築があるという、まるで昭和30年代のような景色であった

 

 

東京近郊では、このような建物が残っていても、その後ろには、邪魔臭いクソつまらないマンションなどが写ってしまうのがデフォルトだが、ここではそんな目障りなものは存在していない

 

 

僕のブログでは、よく「しばし呆然と佇んだ」などという、えらく大袈裟な表現を使うが、あくまでもそれは「感動にうち震えた」などと同様に、一種の文章のノリにすぎない

 

しかし、この風景を目にしたときには、大袈裟ではなく、しばし呆然と佇み、感動にうち震えてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

この平屋の看板建築「リカー オオムラ」は、現役で営業を続けていた

 

あまりのことに、しばらく呆けたあと夢中で建物を撮影した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建物の造りを見ると、戦後のドサクサ期に造られた安直なバラック建築などではなく、先ほどの三層構造になっていた看板建築のような、きちんとした造りであることがわかる

 

ということは、こちらも昭和初期ごろに建造されたものではないか。という直感が走った

 

 

建物の構造を観察すると、店舗の看板建築の部分から主屋にかけてが、片流れの戦前型に特有の様式であることがわかる。ただし、こちらは平屋という点が異なっているが

 

隣にくっついている建物は、「リカー オオムラ」とは明らかに建築様式が異なっているので、おそらく廃業した別の店舗であろう

 

 

この解散した商店街、まさかこれだけでは終わるまい。という確信が僕のなかで芽生えていた。そして、それは間違っていなかったのである

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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近郊の街・光と影(2018年・裏総集編)

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今年も首都圏、およびその周辺を徘徊してきたが、いつも年末に総括とも言える「年間ベストショット」という総集編をお届けしている

 

ところが今年は「2018年お気に入りフォトバトン」という企画に参加したので、ネタのかなりの部分を放出してしまった。まあ、まだ猫写真とかいろいろ隠し球はあるが……

 

 

そこで今年は少し趣向をかえて未発表、もしくは一度発表した写真を、新たにモノクロだけで再構築して「裏総集編」というかたちで発表してみよう

 

もちろん、単純にカラーをモノクロにしてもツマラナイから、コントラストをいじったり粒子を荒くして森山大道的(最近は中藤毅彦か?)な、いわゆる荒れた画面にしている

 

 

ただし、あくまでも大道は精神的なバックグラウンドであって、これから並べる作品は、好きな写真家ウォーカー・エヴァンス、あるいは1960~1970年代の東京を撮影した田中長徳の影響下にあると言えるだろう

 

 

 

「近郊の街・光と影」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ※ロケ地
 
 五反野
 武蔵五日市
 高円寺
 京島
 三鷹
 府中本町
 八王子
 荻窪
 二子新地
 海老名
 弘道
 東向島
 谷中
 阿佐ヶ谷
 下沼部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2018年・印象に残った古民家「まとめ」1~4月

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毎年恒例の「年間ベストショット」は、お気に入りフォトバトンに変わってしまったので、今年は趣向をかえて「印象に残った古民家」という、けっこう選ぶのが大変な企画にしてみた

 

という理由もあるが、撮影した古い建物があまりにも膨大な量なので、自分でもよく把握していない。そこで一種のインデックスとして、3回に分けて掲載する

 

 

では、前おきはさっさと終わらせて1月からはじめよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小田急線の梅が丘駅の商店街で発見した看板建築と出桁造りの商家

 

このレベルの物件がマイナーな駅の梅が丘に残っていたことが驚きである。しかも隣同士。ほかには魔改造されてしまった哀れな出桁造りの古民家が1棟残っているだけであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じく小田急線の経堂駅付近に残ってたいた戦前物件

 

残念ながら、おそらく23区内唯一の茅葺き屋根の現役商家、鑑賞魚の「なおい」は、道路拡幅のため解体されてしまったファッキン!

 

 

 

 

 

 

 

 

JR南武線、武蔵中原にあったキュートな看板建築。左側のチープな美容室、そして右側のファサードにある「扇に百」がかわいくて、何度か見に行ったお気に入り物件。こちらも今秋解体済み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、まだ残っているものと思われる。大森新井宿にある看板建築のパン屋の廃墟

 

店舗の奥には製造工場もあり、山王や馬込の高級住宅街を控え大きな商売をしていたようだが、荒れ果てたまま十年以上放置されている。すぐ並びにも素敵な廃屋がある

 

 

 

 

 

 

 

西小山のアーケードの出口付近にある看板建築の八百屋。廃屋にしか見えないが、たまたまこの日は休みなだけで、驚いたことに現役である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世田谷区の駅もなんにもないところにある魔改造された銅板葺き看板建築

 

まさか、こんな辺鄙な場所にあるとは驚愕の物件であった。夜、たまたまバスの車窓からめざとく発見して、翌週訪れて撮影した。この向かい側には、銅板のファサードを持つ出桁造りの蕎麦屋もある

 

この場所から五本木に向かうと住宅街の真ん中には、いきなり出桁造りの商家が残っていて驚く。五本木商店街の看板建築は、道路の拡幅などによりほぼ壊滅した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下北沢の隣の駅池ノ上にある出桁造り商家群。なぜか、この一画だけ戦前のままワンブロック丸々残っている

 

池ノ上には、ほかにも銅板葺き看板建築とモルタル外壁の戦前型看板建築が、それぞれ1棟残っている。いつ解体されてもおかしくない状況なので、見るなら今のうちかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

同じく小田急線、経堂駅にあるトンガリ平屋看板建築。残念ながら、つい最近ファサードが塗り直されてしまい、台無しになってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東横線、祐天寺駅からすぐの駒沢通り沿いのモルタル外壁の十字型看板建築。この付近に同型の看板建築があと3棟残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

この並びには銅板葺きやモルタルの戦前の看板建築、出桁造り商家などがわりと残っているが、魔改造が多く一見しても見逃す可能性が大きい。駅のすぐそばには、茅葺きトタン張りの古民家も2棟現存している

 

古民家カフェの前ではインスタにでもあげるのか、かわいい女子が星のイルミネーションをバックに自撮りしていた

 

*追記 この記事を書いた直後、祐天寺門前の銅板葺き看板建築が解体された。おそらくクソつまらないマンションにでもなるのだろうファッキン! その2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大岡山の商店街の看板建築と出桁造り商家。こちらもせっかくの銅板が再塗装されて台無しに

 

この街には、かなり戦前物件が残っているが、あちこちに点在しているため、商店街の端から端まで軽く2キロはあるので、見るのが大変である。まだ僕が見つけていない隠れ物件もありそうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

東横線、都立大学駅の商店街に残った銅板葺き看板建築

 

今は不動産屋だが、僕が高校生のころは、店頭にオムツやティッシュなどの雑貨が積まれていた記憶が残っているから化粧品店だったはずだ。残っただけでもありがたい物件である

 

東横線沿線では、これが唯一残った銅板葺きの物件だと思われる。学芸大学と武蔵小山の真ん中あたりにある平和通り商店街にも、戦前型の銅板葺き看板建築、モルタル外壁看板建築が各1棟残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは目黒区にある地蔵通り商店街の「barbarフジミ」

 

まあ、説明するまでもなく、富士山のファサードに尽きる物件である。残念ながら廃業してしまったので、おもむき深かった店舗の部分が味気なくリフォームされてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯能の旧吾野道沿いに残る戦前物件。飯能は出桁造り、看板建築など掘れば掘るほど、いくらでも見つかるポテンシャルを秘めている。ただし、その数は十年前に比べて半分以下になり、今も減り続けている

 

ちなみに武蔵野うどんの「古久や」は、戦前どころか幕末期建造の現役の商家である。店は昼間だけ営業しているが、あっという間に売り切れてしまう。かなり美味しい店だ

 

 

この街は埼玉県では、川越に次いで戦前物件が多く残されているが、ほとんどの建物が、周りは更地にされ、このように朽ちるにまかされており、憤りを感じざるを得ない。飯能市も文化財に対する認識が決定的に欠けている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川崎市多摩区菅に残る佐保田家の長屋門。てっきり解体されたものと思っていたら、地元の方から現存していると教えられ、あわてて撮影しに行った

 

街道と門のあいだに建物が建ってしまい、何度も前を通ったのに、見逃してしまったのだ。その節はありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 

 

立川市曙町にある古書店「地球堂書店」堂々たる看板建築で、神保町にあってもおかしくない貫禄である

 

並びには戦前型と思われる看板建築もあるが、残念なことに、大きな軒先テントに隠されており、ファサードがほとんど見えない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武蔵小山の商店街のアーケードからすぐ、旧中原街道の入り口に残る戦前型看板建築の「松本商店」一部が銅板葺きになっている。下の写真は、駅の反対側の外れにある美容室の廃屋

 

斬新でモダンな看板建築は、現役時代は、さぞ洒落た建物だったにちがいないが、廃業したあと放置されて久しいようで、ご覧のような悲惨な姿に……

 

 

 

5~8月に、続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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2018年・印象に残った古民家「まとめ」5~8月

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さて中盤である

 

この企画では、ググると画像がたくさん出てくるようなメジャーな物件は、なるべく避ける方針ですすめてゆくが、最初に紹介する荻窪の古民家群は、都内の一等地のため、そうもいかない

 

 

 

 

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荻窪

 

 

 

 

 

 

青梅街道と環八の四面道交差点から西側は、荻窪界隈でもっとも早く拓けた場所で、銅板葺き看板建築、モルタル外壁の看板建築、出桁造りの商家が軒を連ねていた

 

現在でもわりと数が残っているが、僕が学生のころは、もっと並んでいた

 

そのうちの1棟は、お洒落な本屋としてリノベーションされて復活したが、その隣にあった出桁造りの見事な商家は、残念ながら解体されてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荻窪の教会通りの戦前の木造とモルタルによる「東京社」というクリーニング店。杉並区でも指折りの素晴らしい木造の建物で、いつまでも残してほしい物件である

 

もし解体なんてことになったら、杉並区が郷土博物館の片隅にでも移築保存すべき建物であろう

 

 

 

 

 

自由が丘

 

 

九品仏

 

 

自由が丘に残っている唯一の戦前物件。隣の駅の田園調布にも、出桁造りの商家がまだ2棟残っている

 

下の写真は九品仏の近くにあった「錆王」である。ファサードが真っ赤に錆びてすごいことになっているのに、現役で使用されていた

 

 

 

 

 

西新井大師

 

 

 

 

西新井大師の奥野銀座商店街に残る戦前物件。この近所には写真家の田中長徳氏も絶賛していた「錆王」と呼ばれた銅板葺き看板建築も残っていたが、解体されてクソつまらないマンションになってしまったファッキン!

 

大師前の商店街にも見事な看板建築が残っているが、メジャーな物件なので割愛する

 

 

 

 

 

五反野

 

 

 

 

葛飾区弘道に残る、まさに奇跡としか言い様のない戦前型の木造長屋造りの商家群

 

おそらくすべての店舗が廃業しており、解体されてしまうのは時間の問題だと思われる。できれば木造のほうだけでも国が保護すべき極めて貴重な建物だ

 

 

 

 

 

所沢

 

 

 

 

 

 

​​​​​​

 

 

 

 

所沢の秩父往還吾野道沿いの金山町から西所沢にかけては、古民家がかなり残っている

 

かつては今の倍ぐらいあった印象だったが、クソ馬鹿ばかしいタワーマンションラッシュによって、多くの貴重な建物が破壊された。重厚な看板建築の古書店、店の敷地に専用トロッコのレールが残った商家……

 

所沢市の文化に対する無関心ぶりは、もはや犯罪級と言っても過言ではないだろう

 

 

現在も戦前型の看板建築や、明治時代の土蔵造り、出桁造り商家などが、ちらほらと残っているが、文化財に理解のない埼玉県のことだから、いっときの油断も許さない状況である

 

玩具店の「すだれや」は、大きな看板に隠されて見えないが、明治時代に建造された出桁造りである

 

 

 

 

 

立石

 

 

 

 

京成立石といえば、なんと言っても「呑んべ横丁」であるが、それ以外にも、なかなか味のある物件が多い

 

店舗の部分が空っぽになったこのモルタルの看板建築は、なんとなくギリシャのパルテノンのようだ。奥戸街道沿いの出桁造りの蕎麦屋も堂々とした佇まいである。この街道沿いには、ほかにも3棟の出桁造り商家が残っている

 

 

 

 

 

 

吾野

 

 

 

 

 

 

 

 

西武秩父線の吾野駅の下を通る秩父往還吾野道には、江戸時代からの宿場町が、当時とさほど変わらない姿で残っている

 

もっとも古い建物は、江戸中期の平屋の民家で、神社仏閣を別にすると埼玉県でも指折りの古い物件である

 

 

注目すべきは、大正時代の木造洋館と下の写真の大名家の長屋門だ。このような二万石程度の石高の様式を持つ長屋門は、首都圏には3棟しか残っていない。この長屋門は明治時代に東京から移築された

 

 

 

 

 

四つ木

 

 

 

 

 

 

かつては葛飾区の銀座とまで言われた繁華街だった四つ木の町は、区画整理と道路の拡幅によって、今まさに滅びようとしている

 

このほかにも出桁造りの和菓子屋、戦前型の看板建築も残っているが、残念ながら風前の灯火といった感じである

 

 

 

 

 

京島

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京都墨田区京島は、おそらく都内でもっとも戦前の物件が残るまさに古民家ワンダーランドである

 

あまりにも見所が多すぎて、このような「まとめ企画」では、さわりすら紹介できない。詳しくはブログ記事で見てほしい。あまりにも奥が深いため4回も通ってしまったが、いまだに全貌はつかめていない

 

 

 

 

 

都倉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武蔵五日市

 

 

かつての五日市市、現在のあきる野市にある武蔵五日市駅周辺は、知られざる古民家の宝庫である

 

駅からほど近い檜原街道の南側には、ほとんど昭和初期のまま町が丸ごと残っているが、更地にされてしまったところも多く、早急な保護が望まれる

 

 

そのほかにも日の出町の大久野、戸倉、星竹、盆堀など魅力的な集落が点在している。とくに戸倉は旧道がそのまま残っており、茅葺きトタン張りの古民家は3棟残存している

 

もっとも印象に残っているのは、木造の床屋「タクラ」で、この地域では大久野の「藤太軒理容所」と並び文化財級の床屋であろう

 

 

あっ、そうそう、都倉の写真のどこかに、猫が写ってるんだけどわかるかな?

 

 

 

 

 

吉祥寺

 

 

吉祥寺は、関東大震災で焼け出された下町からの移住者によって成り立った町なのに、大きく発展したため、あまり古民家が残っていない。ただし住宅は別で、洋館やギャンブレル型屋根の文化住宅などがある

 

 

商家は駅からほど近い場所に、1軒戦前のものとおぼしき床屋が残っているだけだとばかり思っていたら、成蹊大学の近くで、この片流れの戦前型看板建築を見つけて嬉しくなった

 

現在は古民家カフェにリノベーションされている

 

 

 

ということで、次回はいよいよ9月から12月の物件を

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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2018年・印象に残った古民家「まとめ」9~12月

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さて、いよいよラスト9月から12月である

 

 

 

 

 

大久野

 

 

 

 

 

 

 

 

武蔵五日市駅から徒歩で30分ほどゆくと日の出町の大久野に出る

 

ここもまた優良物件の宝庫である。政府軍に追われた土方歳三の義兄、佐藤彦五郎が命からがら逃げ込んだ羽生家の土蔵と薬医門、隣には分家の長屋門

 

武蔵五日市からひと山越えたところには、有形文化財の土蔵造りの洋館があり、大久野には元郵便局の木造洋館が残る

 

昭和初期の看板建築の「藤太軒理容所」も素晴らしい

 

 

 

 

 

北千住

 

 

 

 

 

 

 

 

北千住で見つけた「菜か多楼」というカフェー建築は、なんとカフェー建築が大好きな女性デザイナーが最近造ったものである。偶然見つけたのだが、一瞬、本物かと思ったぐらいよくできている

 

この町にあった赤線跡地の「大門商店街」は、双子鮨が素晴らしい。なんで看板のこんなところがへこんだのか、その経緯が知りたい。まさか誰かが空中から飛び降りたわけないし……

 

 

 

 

 

堀切菖蒲園

 

 

 

 

堀切菖蒲園の川の手通り沿いにあった看板建築が並ぶ一角。建物と建物の隙間に風呂屋の看板と入り口があるのがよかった。風呂屋の玄関の前には、かつて川が流れていたが、現在は暗渠に

 

下の写真は、その暗渠の横にあった古民家。板塀の下の歩道が、かつての川跡である。駅付近には暗渠上に造られたバラック商店街がある

 

 

 

 

 

阪東橋

 

 

 

 

 

 

賑やかなアーケード商店街の「横浜橋商店街」を抜けると桂歌丸の故郷「三好橋通り商店街」があり、そのさらに先にある寂れた商店街

 

 

そこは戦災を免れたので、横浜の中心地では、ほとんど唯一戦前の木造建築が残されている

 

惣菜屋の「池田屋」を見たときは、胸をしめつけるような強烈なノスタルジーを感じた

 

 

 

 

尾久

 

 

 

 

 

 

尾久銀座商店街から都電荒川線・町家二丁目に向かう道も堀切菖蒲園と同じ「川の手通り」と呼ばれている

 

日暮里・舎人ライナーから先は、寂れてしまったおかげで、古い建物がたくさん残っていた。なかでも「栃木屋豆腐店」は、半分が和風で、残りは看板建築という、きわめて珍しい物件である

 

 

 

 

 

町屋

 

 

町屋二丁目の銅板葺き看板建築。町屋地区では唯一の銅板葺きだと思われる。並びにも同様の看板建築があるが、残念なオレンジ色に塗装されてしまっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町屋駅付近に残る特選物件。京成のガード脇には巨大な原爆型トマソンのモルタル外壁の廃屋があった。町屋はおもしろいなあ

 

三軒長屋の出桁造りの商家は、真ん中の建物だけ残念なことに。その先の路地には戦後のバラック建築が残る。なかでも「酒井豆腐店」に強く惹かれる

 

 

 

 

 

星竹

 

 

 

 

 

武蔵五日市から徒歩30分以上かかる秘境のような集落の星竹は、檜原街道から秋川をわたった先にある。集落の建物の配置は、江戸時代とほとんどかわっていない

 

そんな不便きわまりない場所にある集落であるが、かつては筏を組んで江戸に送る木材の元締めだったので、分限者が多く立派な古民家が残っている

 

 

 

 

 

 

鶴見

 

 

 

 

 

 

戦災のため横浜の中心地の古民家は、ほぼ壊滅したが、奇跡的に鶴見に残った銅板葺きの看板建築。おそらく銅板葺きでは横浜の中心近くで唯一のものだろう

 

鶴見の中心部を離れた森永の工場の前には出桁造りの商家と、このモルタル外壁の戦前型看板建築が残っている。一国の下末吉付近には、出桁造り商家と煉瓦の土蔵もある

 

 

 

 

 

新宿百人町

 

 

周囲1キロには、なんの駅もない新宿百人町で偶然見つけた銅板葺き看板建築。なぜこのような辺鄙な場所に建てられたのか謎の物件である

 

 

 

 

 

大口

 
 

 

 

横浜市神奈川区大口の商店街の外れにあった貫禄たっぷりの廃屋

 

かつては雁木状の屋根がついた賑やかな場所だったが、大規模な区間整理で地上から消え失せようとしている

 

 

 

 

 

西荻窪

 

 

 

 

 

 

荻窪の四面道交差点から先は、戦前物件の宝庫であるが、隣駅の西荻窪も負けていない。駅前から五日市街道にまっすぐ向かう道沿いには、戦前型の看板建築がかなり残っている

 

「まつばや」は、残念なことに緑青を吹いた銅板があとから塗装されてしまっていた。この町にも再開発の魔の手が押し寄せているので、早いうちに見ておいたほうがよいだろう

 

 

 

 

 

大宮前

 

 

 

 

その五日市街道を東に向かうと、おそらく戦前に造られた農家の物置小屋が残っている

 

高円寺まで行くあいだに、出桁造りの商家も2棟残っている。このときの散策では、下の写真の平屋の看板建築を見つけたのが最大の収穫であった

 

 

 

 

 

飯能

 

 

 

 

飯能まつりのドサクサに紛れて撮影した古民家たち

 

上の写真は飯能銀座商店街に残る戦前物件の一部。クリーム色に塗装された銅板葺き看板建築は、現在無住のため解体されてしまわないか心配である

 

そして飯能でもっともDEEPなワンブロック丸々廃屋が並ぶ吾野道(国道299号線)の戦前物件。こちらもどこかに移築保存してほしいものだ。東飯能の昭和の町がまるごと残った一角は、再開発でほぼ壊滅した

 

 

 

 

 

赤羽

 

 

 

 

十条

 

 

赤羽と十条仲原のあいだの台地の上には、なぜか戦前の建物が残る。赤羽に関しては古民家になんの期待も持っていなかったので、この建物には驚いた

 

どうやら軍施設がたくさんあったために、それに付随して拓かれた町のようだ。数年前までは、もう1棟出桁造りの書店があったが解体されてマンションに

 

 

一方、隣の十条には、2棟の出桁造り商家が残ってるが、駅前にあったこの極細看板建築にはズッコケた。よく見ると以前は豆タイルが張られていたようだ

 

 

 

 

 

天王町

 

 

横浜の洪福寺松原商店街の外れで見つけた「大人のおもちゃ」屋。とくにコメントはない

 

 

 

 

 

田浦

 

 

 

 

間違いなく今年ナンバーワンの物件。こちらは横須賀の田浦の解散してしまった商店街で発見

 

この町には、驚くべきことに、戦前型と思われる平屋の看板建築が5棟も残っている。東京の近郊においては奇跡としか言い様がない。願わくばいつまでも残っていてほしい町である

 

 

 

*お詫びと訂正的な項目*

 

 

以前、目黒の記事のなかで……

 

目黒通りの学芸大学から目黒駅寄りには3つの商店街(清水稲荷、地蔵通り、元競馬場)があり、地蔵通り(例のbarbarふじみがある商店街)のほかは、商店街としては、ほぼ滅んでいると書いた

 

まあ、それは概ね間違いではないのだが、清水稲荷の商店街に、この建物があるのを見逃していた

 

 

 

 

 

 

 

 

店舗部分は魔改造されちゃってるけど、どう見ても戦前、おそらく昭和初期ごろの看板建築であろう

 

いくら他の建物に気をとられていたからといって、これを見逃していたとは、恥ずべきことである。この場を借りてお詫びと訂正にかえさせていただきたい

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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*2018年 お気に入り写真・私家版*

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八王子

 

 

*2018年 お気に入り写真・私家版*

 

 

今年はモノクロのベスト版とでも言うべき記事を作ったが、モノクロばかりでは片手落ちなので、カラーバージョンも作ってみた

 

とはいえ、ここでも写真の選択に苦心し、あれを加えたり、これを削ったりで、編集には通常の記事より手間がかかってしまった。というか、クリスマス前から少しずつコツコツ仕上げた

 

 

とくにテーマはもうけず時系列もバラバラ。なんとなく昼から夜に向かって流れることだけを念頭においた。写真集をめくるように、軽い気持ちで見ていただければ幸いである

 

 

 

 

 

 

 

 

北千住

四つ木

堀切菖蒲園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は、今まで食わず嫌いだった東京のDEEP EASTエリアを積極的に散策した

 

この地域は、オリンピックを控え経済効果だけを追求した愚かな再開発とはあまり縁がない。その証拠にスカイツリーが出来たのに、観光客が押し寄せるのはソラマチだけで、その周囲に残っている押上の町を散策する者などは皆無である

 

 

これは、ソラマチに限ったことではなく、ラゾーナ川崎でも南大沢や入間のアウトレットモールでも大きな違いはない。マイカル本牧が出来たときの熱狂的な騒ぎを記憶しているものなら、またか、と冷ややかに傍観するだけである

 

 

本来、町というのは、港や街道などの物流ルートの拠点に、人びとが集まり交易が生まれ、自然と発生するものであった

 

足しげく通った京島や西新井大師、堀切菖蒲園、四つ木などの東京のDEEP EASTには、寂れてしまっても、そこで暮らしてきた人びとの生活の痕跡が、そして想いが積み重なるように堆積し、空気のなかに漂っている。都市は見せかけの中心ではなくその周縁にこそ、真実の姿があると言えるだろう

 

 

 

 

 

 

西新井大師

四つ木

 

 

 

 

 

 

 

 

吉祥寺

谷中

西新井大師

 

 

 

 

 

 

 

曳舟

立石

 

 

 

 

 

 

 

 

祖師ヶ谷大蔵

立川

府中本町

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜだろう。こうした古い看板に、どうしようもなく惹かれてしまうのは

 

ウォーカー・エヴァンスが寂れて廃墟のようになったアメリカの田舎町の看板を執拗に撮影した気持ちがよくわかる。もっとも、僕はエヴァンスのように、それを持ち帰り部屋に並べたりはしないが

 

 

 

 

 

 

 

東向島

曳舟

立石

 

 

 

 

 

 

 

小村井

押上

高円寺

 

 

 

 

 

 

 

聖蹟桜ヶ丘

 

 

 

 

 

 

 

前をとおるたびに気になる「たこやき」屋。ここに来るのは、なぜかいつもタイミング悪く、お腹が空いていないときばかりで、いまだに食べたことがない

 

 

 

 

 

 

 

経堂

溝の口

十条

 

 

 

 

 

 

 

稲田堤

十条

町田

 

 

 

 

 

 

 

 

​​​​​​中野

立川

 

 

 

 

 

西荻窪

 

 

 

以前の記事にて田中長徳「偽ライカ同盟入門」という本から、田中長徳×片岡義男の対談の一部を抜粋して掲載した

 

僕が生まれる遥か以前から、東京の街の変遷を執拗に写真に撮り続けているふたりの対談は、以前から僕が感じている事柄を語り尽くしている

 

 

 

 

**

 

田中 歩いていらしたところっていうのは、ご自身の周辺部ですよね。それがだんだん興味が広がってきて……。

 

片岡 人の手が縦横無尽にかかっているところ、十重二十重に人の手のかかっている景色というものが、おそらく僕の気持ちを引くんだと思うんです。長い時間の中で、人がそこにずっと住んで、いろいろ手をかけるわけです。その集積が、痕跡としてそのままずっとそこにあるという景色が、面白いんですよ。

 

田中 都市開発者とかデベロッパーとか、そういう人の手がかかっていない。

 

片岡 再開発というかたちで人の手がかかりやすいのは、都心部です。したがって周辺に行くほかない。都心部にも手のかかっていないまだ残っている部分があれば、そこは大変結構である、ということになります。

 

 

***

 

 


田中 ナポリの裏町を歩いているときに、突然東京の周辺の街を思い出して、一種の「帰郷」の思いで満たされることがあったんですけれど、それは別に懐かしいとかそういうんじゃない。いま東京の周辺に行かないと何かが崩壊してしまうんじゃないか、いまのうちに撮らないといけないんじゃないかないかという切迫感を感じることがありますよね。

 

片岡 消えていきましたよ。どんどん、東京は。長い時間の中で、人の手がかかった場所というものが、どんどん消えていくんです。歴史を消してしまって、まっさらにして。そこからあとが、やりやすいわけでしょう。

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

 

下北沢

 

 

田中 ふつうの街の写真を見ると、懐かしさとか、自分の知っているところ、もしくは表面的な好き嫌いや損得というところで見てしまう。片岡さんのやってらっしゃる仕事というのは、高度な視神経というか、「見る技術」というものも必要なんじゃないですかね。

 

片岡 要するに、35ミリのあのフレームに、僕は切り取っているだけなんですよ。何かを表現しようとは思ってないし。何かをそこに託そうとも思ってないし。それで何かを訴えようと思ってないし、僕の主張を託してもしょうがない。そんなもの、そもそもないし。それから下町の人々の生活にある人情とかね、生活のぬくもりとかね、そういうものを表現しようとしてるわけでもないし(後略)

 

 

 

 

***

 

これは、かなり深い真理を突いているコメントと言えるだろう。僕が撮影しているときも、大層なことは何も考えていない。ただ興味を引かれたものを、無意識のうちに撮影するだけである

 

もちろん厳しい修行を積んだ禅僧じゃないんだから、本当の無意識ではないが、少なくともそのとき、テーマはだとか、こんな構図でこんな絵に……などという邪(よこしま)な意識はカケラもない

 

 

ただ、片岡氏のような達観した境地には到っていないので、カッコよく撮ってやろう、ぐらいの雑念はあるかもしれない。というか、ある

 

 

なので、来年も気ままに、そして自分が(←ここ大事)カッコいいと思える写真が撮れたらいいかな

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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「猫」*総集編*モノクロ編

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これが今年最後の記事になります

 

これは予想外のことで、お気に入りフォトバトンを筆頭に、12月はイレギュラーな記事がいくつか入ってしまったので、ちょっと予定がズレてしまったのだ

 

 

ーーで、やると言ってしまった以上、やらないわけにはいかない「猫」*総集編*

 

やたらと文字に装飾がついているのは「猫総集編」だけではタイトルが短すぎて絵面的に見栄えがしないからで、深い意味はない

 

 

ではいってみよう

 

 

「猫」*総集編*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この猫は、日吉本町で見つけた。日吉の駅からえらく離れた陸の孤島といった立地の町だったが、近年は横浜市営地下鉄グリーンラインの駅が出来た

 

しかし、その駅前の地味さというか、なんにもなさは、高田町や仲町台なんて目じゃなく駅構内から出ると、いきなり住宅街の普通の道という、日本の地下鉄駅前風景でもトップクラスの地味さである

 

 

と、あまり猫とは関係ない話をしたところで、いきなり

 

 

 

クイズ!!

 

 

 

 

これは二ヶ領用水の支流の暗渠。この写真のどこに猫がいるかわかるかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

この猫は、漫画家えのあきらの家に住んでいるウーロンさん

 

おそらくペルシャあたりの血が入った上品な顔立ちだが、家猫にありがちなメタボ気味なスタイル、そして極度の人見知りで、僕を敵じゃない認定するまで1年を要した

 

 

おすましだと端正な顔立ちであるが、ある日、エサを食べているところを、こっそり撮影すると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

っと、思いっきりビビっていたヘタレ猫である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっ、猫見っけ。あのー、よろしかったらなでなでしていいですか?

 

 

「…………」

 

いや、だからなでなで……

 

 

 

 

 

 

 

 

チラッ

 

「…………」

 

あのー、だから……

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

無視かよっ!!

 

 

 

 

ちまたでは、やたら“かわいい”猫写真がもてはやされているようだ

 

歴史あるカメラ雑誌まで、猫写真の特集号なんかを出しているぐらいだから、どうやら一定の猫写真愛好者がいるようで、それはそれでよろしいのだが……

 

 

その特集号を立ち読みしたら、猫写真のオーソリティー(らしい)人物の猫写真ノウハウが出ていて、じゃらし用のグッズや、挙げ句、猫のエサまで用意していた

 

まあ、他人のやることに、あまりとやかく言いたくはないので、このあたりでやめておくが、僕は写真を撮影するためにエサをあげたりはしない

 

 

エサを与えてしまった段階で、猫対人間の自然な距離感が失われ、そこには対等な関係性というのがなくなってしまうからだ

 

 

 

飼い猫や、人懐こい性格の猫じゃないかぎり、知らない猫との距離感って、こんなもんじゃないの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というアンチテーゼから、これぐらいの被写体の大きさの猫写真に凝っている。近づいてきたらしめたもの。思う存分なでなでするのだ

 

まあ、たいていプイッと立ち去られちゃうんだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の公園で見つけた黒猫

 

個人的にはウィリー・ロニの撮影した1930年代のパリみたいな雰囲気だと勝手に思っている(えっ、僕たけ?)

 

 

余談たが、パリを代表する写真家、ブレッソン、ブラッサイ、ドワノー、イジスと並ぶロニは、ブレッソンに比べて日本での知名度は低いが、好きな写真家のひとりである

 

 

 

 

 

 

 

 

わりと評判のよかった1枚

 

この「なんだバカヤロー」と、言っているとしか思えない憮然とした荒井注みたいな表情がいいよね

 

 

 

 

 

 

 

 

これは撮りおろし。二ヶ領用水の支流・苅宿堀の開渠の前にいた猫。後ろのブッシュの奥は、苅宿堀に残された唯一の開渠部分である

 

で、猫の前の舗装の色が違う部分は暗渠、つまりこの猫は暗渠猫というわけだ

 

 

予想していたとはいえ、かなり長くなってしまったので後半に続く


 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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「猫」*総集編*カラー編

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「猫」*総集編*

 

前回説明したように、ズレこんだので新年一発目になってしまった。つまり2018年は猫で終わり、2019年は猫ではじまるわけだ。猫尽くしだな

 

で、予告どおり後半はカラーでお届けします

 

 

 

ーーが、最初の写真から、いきなり猫クイズ!

 

 

 

 

 

 

 

 

これは葛飾区四つ木の駅の近くの住宅街の古民家。じつはこの写真には猫が写りこんでいる

 

この取材時、写真を撮影したときは、うっかりして僕も気付いていなかったが、編集のために画像を整理していて発見した。さて、どこにいるのかわかるかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

これはたしか1月の寒い日、陽当たりのよい場所で日当ぼっこをしていたところを撮影した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高円寺の桃園川跡の暗渠の近くで出会ったおそらく飼い猫

 

目が合った瞬間から「にゃーにゃー」と遊んでコールが。しばらく遊んでその場を立ち去った

 

 

で、20~30メートル離れた角を曲がったところ、なにか視線を感じたので振り向いたら、あとをついてきたらしく、ジーっとこちらを見ていた

 

あまりのいじらしさに、もう、キュン死寸前である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猫との距離感その2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは四つ木駅の近くだったかな

 

 

①毛づくろいしている場面を発見。夢中になりすぎて僕に気づいていない

 

②ビクッ! ここまで接近されて、ようやく気がつく。間抜けなやつだ

 

③ドキドキドキ……あー、ビックリした

 

 

 

 

 

 

 

 

あー、ビックリした。その2

 

 

 

 

 

 

 

 

根岸の米軍住宅の山の下にいた猫。横浜のDEEPなエリアである。この猫は逃げもせず、かといって遊んでもくれなかった

 

なにやら澄ました表情から、プライドの高さようなものを感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤線跡地の鳩の町のカフェー建築。夢中で撮影していて、ふと後ろを振り返ると、この猫が寝そべっていた

 

暗渠に猫は定番だが、赤線跡地にも猫は似合うな

 

 

 

 

 

 

 

 

この猫は、堀切菖蒲園からお花茶屋に向かって歩いていたとき発見

 

飼い猫なので、逃げはしなかったが、にゃー、と鳴くたけで車の下から出てきてくれなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

8月の暑い日。いつの間にか五日市市からあきる野市になった武蔵五日市駅から徒歩1時間弱の山あいにある集落、戸倉で見つけたやる気のない猫

 

いくらクソ暑い日だとはいえ、近づいても逃げるでもなく、こちらをチラッと見て、そのままグデーっとしていた。今年出会ったベストオブやる気のない猫第1位である

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで野獣のような鋭い目をしたこの猫は、荒川区の尾久銀座商店街で出会った

 

殺し屋のような目付きでこちらを凝視しているコワモテのくせに……

 

 

 

 

 

 

 

ゴロゴロゴロゴロ……じつは、かなり甘えんぼのツンデレ属性だった

 

 

 

 

 

 

 

 

同じく尾久銀座の廃業してしまったように見える「山久」という渋い看板建築

 

なんの商売をしていたんだろう……と、店舗の部分を覗いてみたら

 

 

 

 

 

 

 

 

猫店長が店番をしていた

 

 

 

 

 

 

 

これもわりと評判がよかった1枚。荒川区の都電荒川二丁目付近で撮影した

 

 

 

最後は撮りおろしの写真で……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日の夕方、武蔵小山から西に向かい三宝カメラを覗いて、学芸大学に行くついでに、久しぶりに目黒通りの裏手にある碑文谷村名主の角田家長屋門を見にいった

 

夕方のローライトのなか、長屋門を撮影していると背中に視線を感じたので、振り向いてみたら

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだ君だったのか。暇そうだね。僕と遊びませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃー」と、ひと声鳴いたので、てっきり遊んでくれるのかと思いきや……

 

ツーンと、そっぽを向いてしまった

 

 

 

ということで、2018年の猫総集編でした

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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文化住宅と平屋看板建築《横須賀・田浦の奇跡の町》前編

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とうとう連載が年を越してしまった。これはイレギュラーな記事が、けっこうあったことが原因である(全368記事だったかな)

 

とはいえ、このシリーズは残り2回なので、前後編でサクッと終わらせるけれど、じつはこのラストの2回が“濃厚つゆだく”状態なのだ

 

 

 

ずいぶん間が開いてしまったので忘れてると思うが、京急田浦から横須賀線の田浦に移動して、トンネルを抜けたところにおいて、昭和がそのまま残った奇跡のような町に出合った

 

横須賀の町は、基本的に谷戸地形の場所にあり、町ごとに分断されたかたちになっている。年末に紹介した昭和の町がおそらく最大の谷戸で、そのとき紹介した商店街のほかに、もうひとつ商店街があった

 

 

 

 

 

 

(この写真は再掲)

 

 

その商店街の入り口には、おそらく昭和初期のままの風景が残った平屋の看板建築「リカーズ オオムラ」というファンタジスタな物件があった

 

そして、このリカーズ オオムラから少し歩くと……

 

 

 

驚いたことに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ええっ! マジか?! これは本当に現実の出来事なのだろうか?

 

またしても戦前タイプの平屋の看板建築が!!

 

 

店舗の左側には、旧東海道の品川宿にあった畳屋とよく似た銅板張りの戸袋が備わっていた。とても現実のものとは思えない風景に、しばし呆然とたたずむ©

 

 

 

 

 

 

 

 

あっ、よく見ると雨樋が凝った造りの銅製だね。それにしても、この風景を見たときの感動をなんと表現したらよいのだろう

 

 

年末の記事でも書いたが、東京にも品川宿の例を持ち出すまでもなく、このような戦前型の平屋看板建築は、わりと見かける

 

しかし建物を撮影すると、ほぼ例外なく邪魔なマンションやビルなどが写りこんでしまうのだ。まあ、その対比が画面的にはおもしろいのだが

 

 

ところが、この写真を見てほしい。この町には、昭和の初めごろと、ほとんど変わらない風景が、そのまま残っているのだ

 

この商店街は、すでに商店街としての役割を終えており、横須賀街道を曲がってから、営業を続けていたのは、天婦羅の隅田川とリカーズ オオムラと、この「石川酒店」の3店舗だけであった(酒屋が2軒というのが興味深い)

 

 

 

 

 

 

 

 

道をはさんで酒屋と反対側には、酒屋の店舗と対をなす平屋の倉庫があった

 

最初から倉庫だったのか、あるいは、なんらかの店舗が廃業して倉庫になったのかは、わからないが、なかなかよい雰囲気である

 

 

 

横須賀街道を曲がったあたりは、リカーズ オオムラ以外の建物が、ほとんど最近建てられた住宅だったのに対して、奥にすすむにつれ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで小津安二郎の映画に出てきたみたいな、えらく古そうな平屋の住宅が混ざりだした

 

なんだかここも凄い町だなあ。と、呆然と眺める

 

つましい平屋なのに、屋根の造りが立派で、明らかに安普請のバラック建築ではなく、昭和初期の様式だ。このような建物は、都内ではほとんど見かけることはない

 

 

 

 

 

 

 

 

東京のDEEP EASTでよく見かける、廃業した店舗、つまり仕舞屋の前に椅子を置いて、ぼんやり町を眺めるひとがいた

 

おそらく近所のひとが通るたびに、井戸端会議が繰り広げられるのだろう。今では下町方面以外では、あまり見られなくなった光景である

 

 

などと、すっかりリラックスしていたら、またしても信じがたい物件が、目に飛びこんできた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うおっ、今度は文化住宅ではないか!

 

年末の記事に掲載したものに続いて、なんと2棟目の文化住宅とは、田浦恐るべし

 

 

おそらく軍都として、早い時期から拓けていた町なので、このような昭和初期の最先端の物件が建てられたのではないだろうか。ビシッとした軍服を着た海軍将校が出てきそうな佇まいだ

 

ちなみに、陸軍は長州閥なので泥臭くて垢抜けないが、海軍は薩摩閥で、英国に範をとったスマートな組織であった。現在も続く非科学的な体育会系の根性論は、陸軍の悪しき遺風である

 

 

 

 

 

 

 

 

文化住宅のあかし、和風の母屋に洋館風の出窓という、セオリーどおりの佇まいが美しい

 

 

この先は、さすがにもう何もないだろう……

 

 

 

と、思っていたら

 

 

 

 

 

 

 

 

ええっ! マジか! あろうことか、またしても平屋の看板建築が!!

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の大好物の「凸型看板建築」、それも平屋である。残念なことに、すでに廃業して久しいような雰囲気で、看板がグリーンの塗料で塗り潰されていた

 

いったい、どんな商売をしていたのか、とても気になる物件だ

 

 

最初は、京急田浦のカフェー建築を見たら、さっさと横須賀中央にでも移動しようと考えていたが、ちょっとした気まぐれから、なんだかとんでもなく脱線してしまったが、これはむしろ結果オーライだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

このグリーンに塗り潰されてしまった平屋看板建築のすぐ先で、商店街は完全に終わり、京急から先は住宅街が続いているだけであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすがにもうこの先は、何もなかろう。と、ここで引き返してしまったのだが……

 

 

じつは、この先にあるトンネルの手前を左に曲がったところに、以前の記事でチラッと触れた首都圏からもっとも近い廃村と言われている「湘南田浦ニュータウン」があったとは、このとき僕は知るよしもなかったのである

 

湘南田浦ニュータウンの廃村を見逃したのは痛いが、それはまあ、今度のお楽しみが増えたと“positive”にとらえることにした

 

 

ということで……長かった横須賀田浦シリーズ、ついに次回は大団円。最後に、かつての長浦軍港に残っている戦前物件をいくつか紹介して終わりたい

 

 

 

後編に続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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明治の建物と戦前の倉庫《横須賀・田浦の奇跡の町》後編

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前編で予告したとおり、かつての長浦軍港(正確には微妙に違うが)の施設を見るため、再びトンネルを抜けて横須賀線の田浦駅に移動することにした、が

 

その前に、商店街だけではなく、いつものように、念のためその裏路地も見に行ってみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これがまた、なかなかよい風情の建物がちらほら並んでいた

 

古そうな土蔵があるかと思えば、まるで墨田区京島にあるような木造の渋い廃屋なんかもあって、やはり田浦は油断がならない

 

 

しかし、さすがに前回のようなファンタジスタなどはあるまい。と、またしても油断していたら、この土蔵の少し先にある通りに……

 

 

 

 

 

 

 

 

これまたビックリ。これはもはや戦前物件とか、そんな生易しいものではなく、幕末明治の世界だ。周りはごく普通の住宅街である

 

どうやら現在は使用されていない雰囲気であるが、2階の漆喰が少し剥げているだけで、かなり状態のよい建物だった

 

 

それにしても、このような建物が残っているとは、この田浦という町は、いったい、いつから町が成立したのだろうか?

 

これが横浜市なら近所のセン南にある都築図書館に、気軽に調べに行けるのだが、さすがに横須賀となると、うちから気軽に出掛けるような距離ではないので、横須賀市のホムペで調べてみると……

 

 

 

 

**

 

 

 

安藤(歌川)広重は寛政9年(1797)~安政5年(1858)に活躍した浮世絵師の第一人者である。


作品には、「武相名所旅絵日記」をはじめ、一躍世に名をなし不動の地位を確立した保永堂版の「東海道五十三次」や「東都名所」、「近江名所」、「木曽街道六十三次」、「名所江戸百景」などの数々の名作がある。


嘉永6年(1853)広重は三浦半島にも足を運び、「武相名所旅絵日記」に「大津」、「浦賀総図」、「三浦の郷」、「毛見(逸見)の山中風景」、「田浦の里農家に休足」と「浦賀道.田浦山中」などを描いた。「田浦の里農家に休足」の絵は、4人旅の折の絵で、田浦の農家にひと休みしたとき、主人が「記念にご一筆を」と紙を出すのに、心安く矢立の墨を使って筆を走らせているようすが描かれ、ほのぼのとした温かいものを漂わせている。


眺めのすばらしい十三峠は、広重も描いている。「浦賀道田浦山中」は古道の浦賀道をたどり、昼なお暗い難所の山道を越えて十三峠の山頂に立ち、眼下に繰り広げられた風光明媚の眺望、遠くつらなる房総の山々に目をうばわれ足をとめて描かれた絵である。

 

***

 

 

 

うーん、なるほど。どうやら江戸時代には、浦賀街道沿いの農村として、すでに存在したのか。Wikipediaによると、鎌倉時代には、すでに田浦という地名が存在するそうだ

 

それにしても、安藤広重が描いているなんて、ちっとも知らなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

横須賀線の田浦駅を抜けて駅の反対側、つまり海側に向かう

 

跨線橋の上から古い煉瓦のトンネルの写真を撮影しようと思ったら、このトンネルの上の変な場所にも、横須賀街道(国道16号線)のトンネルのときと同じようなロケーションに、真新しい家が建っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

横須賀線の谷戸側にある広いロータリーを備えた広場には、居酒屋ぐらいしかなかったが、こちらも駅前にあった店は、この居酒屋だけで他の店舗は、一切見当たらない

 

今どき駅前にコンビニすらない、というのは東京から1時間程度の距離にある町としては、きわめて珍しい。なんにもないじゃん、とバカにしていた南武線の矢川駅前だってコンビニやスーパーマーケットぐらいあったぞ

 

 

それにしても、どちら側の駅前にも唯一ある店が居酒屋って

 

 

 

 

 

 

 

 

跨線橋の階段を降りると、そこにはいきなり僕の好みにドンズバ(←BEGINって雑誌のマネ。綿谷画伯のファンなんで)な古い倉庫があった

 

ローマ字で「SAGAMI」と記されており、相模運輸倉庫という会社のようだ。明らかに軍関係ではないが、以前横田基地で見た米軍の倉庫みたいで、えらくカッコいい

 

 

守衛所があるが、すでに門衛などはおらず、廃屋化しているのもいい感じ

 

 

 

 

 

 

 

 

これも「鉄」のひとなら大喜びの工場施設の引き込み線の廃線跡。もちろん僕も大喜び

 

あとで調べたら、この先にクロスポイントもそのまま残っているそうだ。湘南田浦ニュータウンといい、このあたりが下調べをしない散策の最大の弱点だが、それと引き換えに、今回のように意外な展開になるから、一長一短だな

 

 

この引き込み線の後ろには……

 

 

 

 

 

 

 

 

うおっ、デケエ。なんじゃこりゃ。ビックリポンの「もじゃ倉庫」があった。たまたま軽自動車が路駐していたので、大きさがわかりやすいね

 

そして、このもじゃ倉庫の隣には、こんな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カッコいいギザギザの稲妻型屋根の倉庫が!

 

倉庫に記された文字から、かつては「低温恒温倉庫」だったようだが、敷地に立てられた看板には「国有地」とあったので、おそらく倉庫会社が倒産して、差し押さえられたのだろう

 

 

それにしても、こんな馬鹿デカイブリキの波板の物件は、初めて見た

 

 

 

 

 

 

 

 

その隣の倉庫も国有地になっていた。驚いたことに、こちらは戦前型の看板建築と同じような凝った外壁の造りになっていることから、戦前の物件で間違いないだろう

 

もしかしたら、これは海軍関係の倉庫だったのかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

廃倉庫群に陽が暮れる。なんという雄大な眺めだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日が土曜日というのもあるだろうが、ほとんどひと通りがない

 

すれ違ったのは、営業職のようなスーツを着たサラリーマンと、作業着の兄ちゃん、そして、ジャージを着た散歩のおじさんの3人だけだった

 

 

奥に写っている建物も戦前の物件のようで、近くで見たかったが、会社の敷地内だったので撮影できなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

駅に戻ると、勤め人がぞろぞろと駅に向かっていた

 

この先にある施設は自衛隊第2術科学校、自衛隊病院、艦船補給所と相模運輸倉庫しかなく(土曜日なので役所関係の施設は当然休み)、やけに女性がたくさんいるので相模運輸の終業時刻なのだろう

 

人波は途切れず、やはり巨大な港湾施設なので、勤務しているひとが多いようで、ホームは山手線の日暮里駅ぐらい混雑(東京人しかわからない例え)していた

 

 

横須賀線に乗ると、京急とは正反対の逗子、鎌倉方面に向かったので、一瞬ビビるが、よく考えたら京急とは異なり、ぐるっと内陸部を通っていたことを思い出し、なんとなく不思議な気分になった

 

 

 

《横須賀・田浦の奇跡の町》おしまい

 

次からは、久しぶりに都内に戻って、以前から興味があった東京35区時代は区だったのに、今や単なる地名になってしまった滝野川界隈を、京浜東北線線の上中里から板橋まで疾駆する。チョートク氏言うところの暴れ撮りだ!

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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上中里から梶原電停へ《滝野川・城北の迷宮をゆく》①

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以前、都電荒川線の記事をたくさんアップしたが、そのとき妙に印象に残ったマイナーな場所があった。もちろん三ノ輪や町屋、王子も印象深かったけれど、それらはわりと知られた場所である

 

僕のお眼鏡にかなうからには、そんな「有名どころ」ではないことは、言うまでもないだろう

 

 

では、それがどこかと言うと……

 

都電荒川線と京浜東北線が交わる場所は王子である。その王子のすぐ隣から板橋までのあいだの武蔵野台地の北西の際が、あまり知られていない滝野川という地域だ

 

 

都電には滝野川一丁目という電停があり、その界隈を歩いたとき、新しい住宅街のなかに、突然古そうな邸宅や、出桁造りの商家、バラック建築の平屋などが混ざり、昔の東京と再開発に揺れる現在の東京のはざまで変わりゆく姿に、強く惹かれた

 

 

ここでも例によって、あちこちで建て替え、道路拡幅などが進行中で、古い町並みは消滅しようとしており、なんらかのかたちで記録に残しておかねば……

 

という気持ちもあり、それは心の片隅で、喉の奥に刺さった小骨のようにひっかかっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

滝野川という地域にゆくには、前述の都電滝野川一丁目や板橋から向かうのが手っ取り早いが、そちらの地域は以前の記事にて、すでに散策しているので、今回は今まで数えるほどしか降りたことがない京浜東北線の上中里駅から散策をスタートした

 

この駅は古河庭園にゆくために、上の写真の南口で何度か降りただけで、これから向かう北口に降りるのは、正真正銘初めてである

 

ちなみに、なにもない駅前の坂道を登ったところにあるのが古河邸だ

 

 

駅のこちら側には、コンビニすらなく数軒の店があるだけであるが、反対側は、もっとなんにもなかった

 

横須賀田浦の記事で、田浦駅前にはなにもない……と書いたが、恐ろしいことに東京23区内にある駅のくせに、上中里もそれに匹敵するぐらいなんにもなかった。いや、正確にはセブンイレブンが1軒あるが、そのほかは住宅とマンションが並んでいるだけである

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅街を5分ほど歩くと、ようやく最初の店があった。軒先テントには総合食品とあるから、現在でいうところのスーパーマーケットの一種であろう

 

僕が幼い日々を過ごした商店街にもこのような店があったが、いつの間にかスーパーやコンビニに駆逐されて姿を消した

 

 

撮影しようと思っていたら、ブルーグレーの薄手のカーディガンを羽織った知的な美女が買い物に訪れたが、ぼやぼやしているうちに、シャッターチャンスを逃してしまった

 

昭和30年代のようなレトロな店に、美女はお似合いなのに残念である

 

 

 

 

 

 

 

 

その並びには「とんかつ山六」「スナック さわ」という店があったが、どちらも廃屋にしか見えない。外観のヤレっぷりからして、ずいぶん前に廃業してしまったようだ

 

「さわ」という語感から、元祖セクシー女優の沢たまきを連想してしまったが、まあそれはどうでもいい

 

 

しかしそれよりも、気になったのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

スナックさわの、軍服につける勲章のようなかたちをした、この丸い看板である。コレ、どこかで見た記憶があるなあ、と思ったら、田中長徳氏がブログにこの看板の写真を掲載していたことを思い出した

 

廃業しているようだが、この看板に明かりが灯ったところを見てみたいものだ

 

 

スナックさわの少し先には、やはり廃業したこんな店が

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその並びも、向かい側の店も、目に入る店は、ほとんどすべてにシャッターが下りていて、上中里の商店街は文字通りシャッター街の様相を呈していた

 

固く雨戸が閉ざされた「小出※米店」は、昔は大きな商売をしていたらしく、店舗の裏側は倉庫になっているようなので、ちょっと覗いてみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

白黒の猫がお留守番をしていた。なでなでしたかったが、いかせん私有地のなかなので、そういうわけにもいかず、先にすすむと

 

 

 

 

 

 

 

リサイクルショップが営業していた。この駅に着いてから目にしたセブンイレブンを含めて、営業していた3軒目の店舗である

 

それにしても、こんなに地味な展開の記事が、かつてあっただろうか。いや、けっこうあるな

 

 

 

 

 

 

 

 

シャッター街の商店街を抜けると、だだっ広い東北本線の踏切があった

 

踏切をわたると、そこも上中里の商店街の続きのようで、ちらほらと店が並んではいたが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはりこちらの商店街も、ほとんどの店が廃業している感じで、開いていた店舗は、ほんの数軒であった。こちらのスナック「new ナカザト」は、やけにやる気満々のレタリングである

 

下の写真の店などは、店構えから蕎麦屋か寿司屋のような佇まいだが、かつて店先に風情を与えていたはずの植木が、放置されて傍若無人に繁殖してしまい、プチ・ジャングルになっていた

 

 

大袈裟にはじめたわりには、きわめて地味な展開に、この先どうなってしまうのだろうか。と、ブログの先行きに、暗雲がたちこめてきたそのタイミングで

 

 

 

 

 

 

 

 

東京のDEEP EASTのシリーズでお馴染みの明治通りにぶつかった

 

明治通りの奥に見えている横断歩道のさらに奥、歩道が赤くなっている先にあるのが都電荒川線の梶原である

 

 

後ろに見えているビルには、東京福祉大学“王子”キャンパスと記されているが、僕の記憶が確かなら王子はふたつ先の駅だ。つまりこれは“東京”ディ○ニーランドと似たような一種の詐称だな

 

まあ、東京福祉大学“梶原”キャンパスでは、地方から上京した者には、梶原などといっても、それが足立区にあるのか、杉並区にあるのか、見当もつかないだろうから王子にしたのか

 

 

しかし、王子だって「王子ってどこだ? 八王子の隣か?」という、無用の悩みを抱かせてしまうのではないだろうか。とはいえ、浦安にあるのに東京と言い張っているネズミの国よりは罪がないだろう

 

余談だが浦安には猫実というかわいい地名があり「ねこざね」と読ませる。現在はなんてことのない地味な町だが、江戸時代の千葉湾岸方面では、船橋や行徳と並ぶ賑やかな町だったそうだ

 

 

明治通り沿いには……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「noble」という屋号の渋い床屋があった。ノーブル、つまり貴族的という意味合いだろうか。こちらは元気に営業しているようだ

 

そういえば大森には、「ダンディ」という床屋があったな。あと、どこかで「ダンデー」という床屋も見た記憶がある

 

 

 

 

 

 

 

 

その先で都電荒川線を撮影して、梶原という電停(電車でいうところの駅のこと)に向かうと、にわかに信じられないような光景が目に入った

 

 

 

 

 

 

 

 

これはビックリ。なんと駅のプラットホームが古書店になっている、というか、ホームの階段の横が古書店である

 

キオスクのような駅の売店なら別に当たり前だが、古書店というのは、日本全国的にも珍しいのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう見ても今ではあまり見かけなくなった、昔ながらの町の古書店である

 

一応、店のなかも覗いてみたが、とくに欲しくなるような本はなかったが、古書店というのはタイミングに尽きるからしかたない

 

 

都電の電停の先には梶原の商店街があるので、そちらに向かうことにして、駅をあとにした。あらかじめ断っておくが、次回もきわめてマニアックかつ地味な展開になるはずだ

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

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